質問に答える

シルバーバーチ最後の啓示
三章 質問に答える 


心霊治療について 

───心霊治療のプロセスについてご説明ねがえませんか。

「生み出す結果は驚異的でも、技術的にはきわめて単純です。患者がいて、治療家がいて、大霊がいます。その大霊の生命力である治癒エネルギーが治療家の霊的能力を通して患者の霊体に届けられる───それだけのことです。 
本質的にはそれが全てです。神秘もなければ魔法もありません。自然法則の働きがあるだけです。ただ、治癒エネルギーには無限の可能性があるということです。 
その治癒エネルギーの流入を規制するものは何かといえば、治療家の資質、その治療家が到達した霊的進化の程度です。霊性が高ければ高いほど、それだけ受容力も高まります。 
もしも治療家が完全の域に達することができれば、治癒エネルギーも最高のものが届けられる理屈になります。が、完全というものは不可能ですから、実際には治癒エネルギーは治療家の霊性によって制約を受け、限定され、影響を受けることになります。 
治療家というチャンネルないしはパイプ───どうお呼びになっても結構です───は所詮は思考力をもった人間であり、身体と精神と霊の相関関係ででき上がった複雑きわまる存在ですから、それを出入りするエネルギーは、そうした人間性の影響をどうしても受けます。 
治療家はその人間性を極力控え、日常生活においても霊性を高めるように心掛ければ、流入するエネルギーの量も多くなり、それだけ良い結果が得られるようになります。 
 治癒エネルギーは生命力そのものです。したがって治療家は崇高な宇宙の生命力を扱っていることになるのです。私が邪悪な動機のためにその生命力を汚すようなことにならないようにと戒めるのは、そこに理由があるのです」 


───治療家が患者に対して個人的に特殊な感情を抱くのはいかがでしょうか。 

「それはいけません。霊力の中継者である治療家が個人的感情に動かされると、霊力の流入が阻害されます。通路は常に無垢の状態でないといけません。少しでも多くの霊力が流入するようにとの祈り以外のものがあってはなりません。 
あくまでも道具なのですから、自分勝手な考えを差しはさむことは許されません。霊力の流れの通路であること、それが治療家の仕事です。 
ところで、地上の医学者の診断を最終的なものと思ってはいけません。彼らなりの体験と勉強に基づいて結論を述べるのでしょうが、それを〝不可謬〟と信じてはなりません。
すべての望みが断たれた時でも、霊力はその驚異的な回復力によって、全快とまではいかなくても、病気を改善することができます。現代医学とは根本的に観点が異なります。地上の医学者は人間を肉体のみの存在として、物的観点から処理します。 
一方、私たちは基本的には霊的観点から人間を見ます。霊が正常であれば精神も正常であり、従って肉体も正常となります。その反対ではないのです。つまり肉体が正常になれば精神も霊も正常になるというものではないのです。霊がすべてを統率しています。 
しかしその霊も、いつかは肉体から離れる時がまいります。皆さんはそれを〝死〟と呼んでおられます。
死は本来は病気とか苦痛の中で迎えるべきものではありません。静かで安らかな雰囲気の中で迎えるべきものです。間違った生活環境は精神と霊と肉体の調和を乱し、それが霊のスムーズな撤退を妨げます。 
肉体の病的状態が治癒不可能な状態に至れば、霊は撤退せざるを得なくなりますが、その撤退をスムーズにしてあげるのも治療家の役目です。 
ふつうなら苦痛が大きく、しかも時間が長びくケースを、治療家はラクに、そして短時間で終らせるようにしてあげることができます。 
あなた方人間にとって死は相変らず恐ろしく、そして怖く、できることなら死にたくないと思われるようですが、それは間違った考えです。私たちから見れば、死は霊の誕生なのです」 


───ということは、哀れみの情を抱くのは間違いだということになるのでしょうか。 

「それは違います。哀れみは霊の属性です。哀れみ・慈悲・思いやり───こうしたものは人を癒やしてあげたり手を差しのべてあげようとする欲求を鼓舞します。私心から発した偏った哀れみではなく、苦しみを背負った人すべてに対する哀れみでないといけません」 


─── そこのところは私にもよく分かります。治療家が個人的に負担を感じて、そのあげくに治療が失敗した場合、自分の力が及ばなかったが故の失敗だと受け止めてしまう可能性があります。 

「今のあなたは〝治療が失敗した場合〟とおっしゃいましたが、その意味が私には解せませんが・・・・・・・・・・・・」


─── 患者が良くならなかった場合のことです。 

「それを治療の失敗というのは間違いです。その患者はいろんな次元での摂理に反したことをしてきて今その症状が表れている。それがあなたの治療によって消えなかったということで、それは治療の失敗ではありません。まだ身体が正常になる段階に至っていないということです」 


─── でも、治療家が自分で勝手なことをしたり、余計な思いを抱いたりして失敗するということは有り得るとは思われませんか。 

「でしたら、それは治療家の失敗です。あなたのご質問は治療そのものが失敗したとおっしゃりたいのでしょうけど、治療が失敗することはありません。治療家がヘマをすることはありますが・・・・・・」   


 長寿と食養生 

─── 身体的に摂生につとめれば長生きできるでしょうか。 

「そうとはかぎりません。ほかにも考慮すべき要因がいろいろとあるからです。物的身体は物的法則だけで支配されているのではありません。精神的法則があり、霊的法則があり、それらが相互に関係し合っているからです。 
そもそも霊性というものは長寿とは関係ありません。霊的なものを物的なもので計ることはできません。長寿だから霊性が高く、短命だから霊性が低いということにはなりません」 


 一点非のうちどころのない人生を送っていた人がガンで亡くなりました。なぜでしょうか。

「その答えは簡単です。その人は一点非のうちどころのない人生を送ってはいなかったということです。もし一点非のうちどころのない生活をしていれば、ガンにはなりません。ガンになったということが、どこか摂理に反したことをしていたことの証明です」 


ここで、出席者の間で議論が交わされた。それを聞いていたシルバーバーチが言う─── 

「摂理というのは、表向きは単純に見えても、奥は実に複雑なのです。摂理のウラに摂理があり、そのまたウラにも摂理があるというふうに、幾重にも重なっているのです。全体を見ることができれば、一つのパターンがあることに気づかれるのでしょうけど、あなた方には一つの側面しか見えません。 
それで、〝どうして?〟〝なぜ?〟という疑問が生じるのです。一部でもって全体を判断しようとするからです。
ガンは精神の持ち方と深く関わっている病気の一つです。個体としての不調和が原因です。病理学的には寄生虫病的な増殖をする種類に属しますが、原因をたどっていくと意地きたなさ・憎しみ・失意・虚栄心・その他、精神と肉体の調和を乱す何かがあり、その結果として悪性の細胞が手の施しようのない勢いで増殖していきます。
病気は食べ物や飲み物だけで片づく問題ではありません。精神的な要素と霊的な要素も考慮しなければなりません。肉体に関わることだけで霊を判断することはできません。
不可能なのです。たとえばタバコを止めたからといって、止められずに吸い続けている人より霊的に上かというと、必ずしもそうとは言えません。霊性はその人の生き方によっておのずと決まるもので、第三者から見てどうのこうのと批判すべきものではありません」


───健康のための法則を守り、その結果として健康体を保っていれば、霊的にも健康な側面が顕現され、それだけ立派であると言えないでしょうか。

「それは言えます。問題はそのように心掛ける動機です。何事も動機が大切です。たとえば健康に良くないから肉は食べないというだけでは、霊性は向上しません。呼吸器に悪いからという理由でタバコを吸わないようにしても、それで霊性が向上するわけではありません。 
そうではなくて、霊性を開発しようと決意し、その開発に少しでも障害になるものは控えるというのであれば殊勝なことです。大切なのは動機です」 


ここで菜食主義に徹している人が、肉食をしないのは動物を殺して食することが間違いだからであることを述べると─── 

「人類が自分たち以外の創造物への責任を自覚する段階に至れば、当然、殺生はできなくなります。それは霊性の発達の一つの指標です。


死の悲しみと恐怖について 

───愛する人を失った人に対して、その悲しみの最中に死後の話を持ち出すのは賢明でないと思うのです。そんな時、ひそかにその人に同情の念を送るほうがよいと思うのですが、いかがでしょうか。

「霊性の発達した人は、その時どきに応じた知恵を働かせることができるものです。適応の方法ならいくらでも思いつくでしょう。
その時の当人の置かれた情況に応じて、知識と体験を有効に役立てるべきです。死別の悲しみの中にいる人にただの同情の言葉を掛けるだけでは、当人の救いには役立ちません」


メンバーの一人が〝死〟そのものに対する牢固とした恐怖心の問題を持ち出すとシルバーバーチが───

「こちらの世界での困った問題の一つに、二度と地上へ生まれたがらない霊がいることです。前回の地上生活で死後のことに何の予備知識もなかったために、霊的に辛い目にあったその体験から、地上という世界を嫌うのです。
たとえて言えば、地上で八〇歳まで生きた者が、自分が学問というものがないことを悔いて、もう一度小学校からやり直したいと思うようなものです。精神的には大人ですから、それは無理なのです。
こうしている間でも地上から何百万、何千万という人間がこちらへ送られてきますが、そのほとんどが死後への準備が何もできていないのです。 
みんな当惑し、混乱し、茫然自失の状態です。それでわれわれが、いろいろと手焼くことになります。本当はそちらで霊的教育を始めるほうがはるかに面倒が少なくて済むのです。
もしもあなたが死の恐怖におびえそうになった時は、自分の存在の始源、すなわち大霊の分霊であることを思い起こし、この全大宇宙を創造したエネルギーと同じものが自分にも宿っていることの意味を熟考するのです。 
そこから勇気を得て、壮大の気宇を抱くことです。下を向いてはいけません。上を見るのです。そして、援助は自分の内部と外部の双方から得られることを知ってください。 
あなたを愛する人々、そしてあなたの心臓の鼓動や呼吸と同じくらい身近かにいて世話を焼いてくれている人々が、あなたを見放すはずがないとの信念に燃えて下さい。 
内的な平安と静寂、自信と決意、そして、すべては大霊が良きに計らってくださるとの悟りは、そうした認識の中においてこそ得られるのです。 
もとより、私の申し上げていることがそう簡単に実行できるものではないことは、私自身も先刻承知しております。が、霊的なことの成就が容易であろうはずがないのです。 
何度も申し上げておりますように、霊的意識が目覚めるのは、安楽な条件の中ではなく、難題と辛苦の中においてです。だからこそ一段と強化され、内部の霊性がますます発揮されることになるのです。 
それが人生の目的そのものなのです。ラクなことばかりで何の苦労もなく、トゲのないバラの花に囲まれての生活では、成長は得られません。発達はしません。霊性は開発されません。
これは大霊が定めた埋め合わせの原理の一環なのです。いつの日かあなたは、その時はイヤで仕方がなかった体験を振り返り、それらが実際はあなたの霊的進化を促す貴重な手段であったことを知って、感謝なさる日が来ることでしょう」
   

進化と発展

───あなたのお説ですと、大体において人間は誕生前から地上でどういう人生を送るかは分かっているそうですが、ある未熟な霊が一回の地上生活でこんどこそは飛躍的に向上してみせると決意して生まれてきた場合、それは可能でしょうか。そのために例えば霊媒としての道を選んだ場合、プラスになるでしょうかマイナスになるでしょうか。 

「どちらとも言えません。要はその能力をどう使用するかです。完全に無私の献身的な態度を維持すればプラスになります。私利私欲に走ればマイナスになります」 


───精神的にも霊的にも意識が向上した人が過去の罪を地上生活中に奉仕の生活によって償うのは可能でしょうか。 

「もちろん可能です。それが地上に生まれてくる、そもそもの目的なのですから。難しく考えることはありません。いろんな霊的意識が目覚め、なぜ地上にいるかが分かれば、それからの人生は償うべきものをどんどん償う人生となります」 


───歴史をみても真理が権力によって抹殺されることがあるようですが、一体そういう敵対者がいる中ではたして霊的真理を機能させることができるものでしょうか。 

「霊的真理はいかなる物的手段によっても抹殺されることはありません。抑圧・不正・圧政・独裁などによって後退させられることはあっても、無きものにされることはありません。 
霊を破滅させる力をもったものは地上には存在しません。地上での真理の普及には困難はつきものです。が、真理は真理であるがゆえに、最後はかならず行きわたります。 
自由を旗印にしている人が酷い目にあうことはあるかも知れません。殉教者・改革者・先駆者といわれる人たちはみな、自分が啓示を受けた真理に忠実たらんとした人たちです。 
人類の歴史は、そうした人たちが迫害に耐えながら、なおも真理への忠誠心を失うことがなかった、長い物語であるといってもよいでしょう。地上には真理を抹殺できる力は存在しません」 


───生きものは全て大霊が創造したものである以上、ビールスなども大霊がこしらえたものに相違ありません。それを殺虫剤や消毒剤などで無きものにしてしまうのは間違いでしょうか。 

「そうすべきだと考えてするのであれば、そうなさればよろしい。何事も、動機によって正否が決まります。地上世界はまだ未熟です。不完全で、完全へ向けて発展しているところです。 
その道程には幾多の困難や試練や障害や難題が横たわります。それらにどう対処していくかによって人類の進歩が決まります。 
そもそも人間の生命を奪うようなビールスが発生するということは、人類の生き方がどこか間違っていることの証拠です。人類の生き方は地上の環境のすべてに反映するのです。生き方を正せば、そういう克服できそうにない問題は生じなくなります。人類の行動と環境との間には不離の関係があるのです」 


───宇宙旅行や宇宙探索の時代に入りましたが、人間はいずれは太陽系全体にまで活動範囲を広げるべきなのでしょうか。それとも地球という一天体にとどまるべきでしょうか。 

「物的側面の発展を阻止することはできません。人間は常により高いところに憧れ、より深いものを探ろうとするものだからです。ですが、この問題でも動機が問われます。純粋な知識の追求なのか、それともライバルに先んじて物的優位を得ようとするのか、そういった点が問われます」 


───人間として最優先すべきものを忘れないという点も問われるのでしょうか。

「霊的原理に基づいた行動をしていれば、そういう問題は生じません。その点みなさんは霊的真理を知り得る立場にあるという点で恵まれていらっしゃいます。少なくとも自分の鼻の先しか見えない者よりは、少しばかり遠くがお見えになります」 


───あなたは、時にはこの世の喧噪から逃れて内なる霊的叡知を求めることを奨励なさいますが、生涯を世俗と絶縁した生活を送ることをどう思われますか。たとえば修道士や修道女のように隔離された世界で生きる人たちのことです。 

「これも動機しだいです。人のために奉仕するためであれば結構なことですし、世俗から遁れることだけが目的であれば、それは良くありません。さらには、霊的資質を開発するために物欲から離れるというのであれば、それは望ましいことです」 


───鎮痛剤や麻酔薬の使用は好ましくないと、どの霊も言うのですが、ひどい苦痛にさいなまれている者にも絶対に使用してはいけないのでしょうか。  

「それは、その時の事情と動機によりけりです。痛みを和らげてあげるのであれば、悪いことではありません。それ自体は私は反対しません。私が反対しているのは、スタミナの増進のために薬物を使用することです。 
地上の人間として心掛けるべき優先課題というものがあるはずです。すなわち霊と精神と肉体の調和です。その基本を踏まえた上で、苦しみ喘いでいる人に一時的に特殊な処方をするのは、決して悪いことではありません」 


───因果律の問題も考慮に入れなければならないのではないでしょうか。 

「もちろんです。私は今、目の前で七転八倒している人にどうしてあげるべきかという問題にお答えしているのです。原則として薬物の使用が良くないことは今さら申し上げるまでもないことです。 
その時どきの事情で、今はこうするしかないと思い、良かれと思ってやっている人を非難することはできません。 
このことは、今地上でどうすべきかと迷い、真剣に解答を求めている人たちの立場も考えて申し上げていることです。地球を救うための大事業に多くの霊が参加し、私がこうして地上圏へと降りて来たそもそもの目的も、結局はその点にあります。 
こうした真剣な質問を出してくださるようになったことに、私は満足しているところです。真剣に求めていけば、さらに大きな光明を見出されることでしょう」


〝神人合一〟は有り得るか 

───ヨガの行者の中には、霊との交信は危険であり有害であると言う人がいます。そして彼らは、背後霊の援助なしに直接的に神との交流をもつのだと言います。それが事実だとすると、スピリチュアリズムはなぜ指導霊などの世話にならなければならないのでしょうか。 

「もしも宇宙の最高神と直接の交流がもてるとすれば、指導霊のような中間的存在は無用となるでしょう。が、そんなことが出来るかのごとき言葉を耳にすると、私は、言いたくないのですが、〝キザな霊的俗物根性〟の響きを感じずにはいられません。 
私たちは、地上の人間であろうとこちらの世界の者であろうと、みんな大霊の子です。子供なのです。交信ができるのは、各自が到達した霊性開発の熟達度に応じた範囲内のことであって、至高の極致など、とんでもありません。 
もちろん、より高いものを求めるのは結構なことです。が、それも日々の生活で獲得する進化によって初めて可能なのです。 
私のような指導霊がなぜ地上圏へ戻ってくるのか、そして、そのために敢えてそれまでに獲得した霊的資質まで犠牲にするかと言えば、地上の人々を本来の霊性に目覚めさせ、せめて地上において霊的進化の階梯の最初の一歩を踏ませてあげたいと望むからです。それがその後の進化を促進することになるのです。 
大霊との触れ合いの問題ですが、それも各自の霊的発達に関わる問題です。生命を授かったということ、すなわち地上に生を享けたという事実それだけで大霊との間に霊的なつながりがあることを意味し、その生命力にあずかることができることになります。 
が、どの程度の触れ合いができるかとなると、それは各自の霊的発達の程度によって違ってきます。大霊は無限の存在ですから、触れ合いにも無限の段階があることになります。各自が最善と思える方法によって、霊的啓示という目標に向けての手段を講ずることです」


人生の目的と背後霊の存在 

───地上生活の目的は何なのでしょうか。また、その目的を達成するための最も良い方法は何でしょうか。 

「目的は、物的身体に宿った霊にさまざまな体験をさせ、次の段階、つまり肉体の死後から始まる生活にそなえることです。地球という天体は学校です。そこで魂が勉強し、永遠の生命のカリキュラムの次の学年にそなえているのです。 
それを達成する最も良い方法は、地上の人間を構成している霊・精神・肉体の三位一体の機能を存分に発揮させることです。そうすることによって、その三つの次元の機能が一つに調和して働くのです。 
また霊能を授かった人にとって大切なことは、その才能が花開き実が熟成するように、みずからの生活を規律正しくして、その才能を人のために使用することです」 


───指導霊の役目について教えていただけませんか。過去のいくつかの〝前世〟の縁があった人たちでしょうか。それともある特殊な意図を持って、私なら私を選んで付くのでしょうか。 

「基本的には自分を役立てたいという欲求にそって、人間を選択します。そこには互いの関心事に親和性が存在します。それが前世で起きたことが縁となっていることもあります。いずれにせよ、何度も申し上げている通り、指導霊はみな地上人類のために何かをしたいという欲求から来ているのです。 
そのつながりは基本的には霊的なものであり、それから精神的なものとなります。達成すべき目標に関して共通性があるのです。言うまでもなく、指導霊と言う用語の通り、指導することが役目です。大霊によって監督指導を託された高級霊です」


障害児の問題 

───知的障害児のことについてお伺いします。
この種の精神病は歴史的にみて新しいタイプなのでしょうか。なぜ霊はそういう障害をもつ肉体に宿るのでしょうか。知的障害児の症状がどれもよく似ているのはなぜでしょうか。そういう子供を授かって、両親は何か特別に得るものがあるのでしょうか。それとも霊のほうから両親を選ぶのでしょうか。 

「皆さんから幼児に関する質問───障害児とか早世する子の問題───をお受けするたびに、私の答えが皆さん方、地上の人間には冷ややかな印象を与えるであろうことを承知しております。が、私は宿命的な板ばさみの立場に置かれていることを知ってください。
やむを得ぬこととはいえ、この種の質問はみな、物的な側面のみを見るところから生じるものです。地上の人間にとっては霊的な観点から見ることは不可能でしょう。 
言わば短期的な視点から見ておられ、長期的な視点から見ることができません。皆さんの焦点はつねに地上生活の期間だけに置かれていて、それで不完全なものとなるのです。
さて、ご質問は再生とカルマと奉仕的精神、それに霊性の進化と熟達度が絡んでおります。とても複雑なのです。生命の霊的本質とその無限の可能性がすべての基本にあるのです。
この種の問題に心を砕かれる方々にぜひ理解していただきたいのは、こうした深刻な問題にその場かぎりの安直な返答ですり抜けることは、私には許されないことです。
これには物的法則と精神的法則と霊的法則とが絡んでおります。法則は法則どおりの結果をもたらすものです。因果律による罰があるように、埋め合わせもあります。神の秤りは寸分の不公正もありません。
見た目には何か大きな手違いがあったかに思えるかも知れませんが、霊的な観点から見た場合、地上人類の現在の進化の階梯では理解の及ばない事情がいろいろとあることを理解してください。差し当たってはそう申し上げる以外に、お答えのしようがありません」
 

憑依と除霊の問題 

───霊が取り憑くというのは事実でしょうか。キリスト教で行なう悪魔払いの儀式は効果があるのでしょうか。 

「ただの儀式として行なうのであれば何の効果もありません。儀式はみなそうです。教会で行なおうと礼拝堂で行おうとシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)で行なおうと寺院で行おうと、同じことです。なぜかと言えば、儀式は物的表現形式にすぎず、その反応はせいぜい精神の次元どまりです。霊にまで及ぶことは滅多にありません。 
本日ご出席の方の中には除霊の為のサークル活動(※)に参加なさった方がいらっしゃいます。霊が取り憑くということがどういう条件下で生じるのか、取り憑く霊と取り憑かれる人間のどこが間違っているのか、 
といったようなことについてお知りになりたければ、それをまとめた資料(※※)があります。霊を見分ける能力をもたないキリスト教の牧師にどうして除霊が出来ましょう。古くさい決まり文句をくり返すだけでは何の効果もありません」 

※───米国の精神科医カール・ウィックランド博士が司会者となって行なった招霊実験のことで、夫人のアン・ウィックランドが霊媒となって、十九世紀末から二十世紀初頭にかけての三十年余りにわたって続けられた。 
※※───それをまとめたのがThirty Years Among the Dead で、今なおロングセラーを続けており、その邦訳は『迷える霊との対話』のタイトルでハート出版から出ている。博士夫妻は何度かシルバーバーチの交霊会に招かれている。 
    

大地のヒーリングパワー 

───私は園芸コンサルタントをしている者ですが、私の庭園を訪れる人が口を揃えて、治癒エネルギーを感じると言います。それは土地そのものから出ているのでしょうか。 

「もちろんです。大地は自然そのものです。大霊の一表現です。実質的には、ありとあらゆる霊的可能性が大地に含まれております。言うまでもないことですが、太陽光線にもヒーリングパワーが含まれていますから、それを適当に浴びることで、身体が爽快になるはずです」


堕胎・脳の手術の是非、その他 

───中絶は創造主に対する罪になるのでしょうか。それとも生まれ出ようとした霊に対する罪なのでしょうか。あるいはその双方に対する罪なのでしょうか。その場合、霊はどうなるのでしょうか。 
中絶されることをあらかじめ知っているのでしょうか。もし知っているとすれば、なぜ、わざわざその身体を求めたのでしょうか。 

「中絶は殺人行為です。その認識のもとにお考えになればよろしい。が、動機となる事情にはやむを得ないものがあることも私は理解しております。 
なぜその身体に宿ったかということですが、母胎を提供した人物との間に因縁があって、それで霊のほうから選択する場合があります。中絶されてしまえば、別の身体を求めるでしょう。同じ母胎に戻ってくる場合もあります」

───人間の行動には必ずしも霊の意志の反映とは言えない面もあるように思うのです。たとえば脳の生理的物質の不均衡や過多が異常行動の原因だったりします。そんな場合に脳に手術を施すことによって、すっかり性格が変るケースがあります。霊界側からみてどう思われますか。 

「霊界側の見解は簡単明瞭です。ご質問者はパーソナリティとインディビジュアリティとを混同していらっしゃるということです。脳の手術によってそれまでとは別のパーソナリティを表現するようにしてあげることはできても、インディビジュアリティは同じです。本来の自我には何の変りもありません。 
パーソナリティと言うのは地上かぎりの物的表現です。インディビジュアリティはそのパーソナリティを通して部分的に顕現している本来の霊的自我です。霊的物質に優ります。霊が王様で物質は従者です。 
当然のことながら物的身体は五つしかない感覚機能によって霊の自己表現を制約します。そこには常に霊と身体機能との間で相互作用が行われております。 
バイオリンの性能が良ければバイオリニストの腕もそれだけよく発揮され、性能が悪いと演奏の質が落ちます。霊と身体の関係も同じです。 
霊が身体を支配しているのです。身体は霊のおかげで存在しているのであって、身体があるから霊が存在するのではありません。そのことをあらゆる面で認識して下さい。霊の欲求、霊の影響力と調和するような生活を心掛ければ、自然の摂理によって、あなたの生活に霊性がみなぎり、身体までも気高くなります」 


───こんなケースはどう理解すべきでしょうか。私が懇意にしている夫婦は互いに愛し合っていたのですが、夫が死期が近づくにつれて奥さんへの憎しみをあらわにするようになりました。 

「それは精神と脳との連絡が阻害されてきたことから生じる一時的な症状に過ぎません」 


───奥さんはそう理解して我慢していましたが、最後まで変りませんでした。 

「一時的なハプニングで永遠を裁定してはいけません」 


───(別の出席者)これも、粗末な楽器で演奏する音楽家のたとえと同じなのでしょうね。 

「身体機能が衰えれば霊の表現がそれだけ制約されます」 


───神の摂理と調和した生活をしていれば健康でいられると、あなたはかねがねおっしゃってますが、健康に関わる神の摂理とは一体どういうものなのでしょうか。 
と申しますのは、私の知っている方の中には、霊媒も含めて高徳な方がいらして、まさに神と人類のために献身的な毎日を送っておられたのですが、いつもどこか病気を抱えておられました。なぜでしょうか。 

「献身的な霊媒だからということで健康に関わる自然法則が免除になるわけではありません。法則は法則として働きます。病気になるということは、どこかで法則に違反しているということの証拠です。何か不自然なことをして、それが原因で一連の法則が働いて、その最後の結果が苦痛という形で表われているわけです。 
苦痛は、大霊が罰として与えているのではありません。賞も罰も、因果律にのっとって、自分で自分に与えているのです。タネ蒔きと刈り取りです。 
全生命と調和して生きていれば病気になるはずはありません。健康とは調和のことだからです。病気になるということは、その調和を乱していることの証拠です。 
職業とは関係ありません。いかに献身的であっても関係ありません。どこかで法則に反したことをしていて、その結果として病気が生じているのです」 


───潜在意識とは何でしょうか。

「精神の中の意識にのぼらない部分のことです」 

───脳とはどういう関係があるのでしょうか。 

「実質上の関係はありません。潜在意識の働きは精神的なものであり、脳の働きは物質的です」

───潜在意識そのものに独自の指導原理、つまり知性のようなものがあるのでしょうか。

「過去のどこかの時点で意識的に吹き込まれた指示と情報(※)があるのみです」
※───呼吸とか乳房を吸うといった本能的なものは別として、その後の赤ん坊の機能的成長、たとえば歩くとか語るとかの機能は、意識的な指示が積み重ねられて潜在意識に仕舞い込まれたもの。ちなみにシルバーバーチはこのあと述べているように、バーバネルの言語機能の潜在意識を操作してしゃべっているのであるが、歩くとかの運動神経は操作できない、と別のところで述べている。 

───潜在意識は過去や未来の出来事をピックアップする能力はありますか。 

「自分に関係のある過去の出来事ならピックアップできますが、未来のことはできません」 

───あなたご自身は霊媒の潜在意識を使用して通信をなさっているのですか。

「そうです。それしか方法がないのです。潜在意識がこの霊媒の身体の機能を自動的にコントロールしているからです。
私の言いたいことを表現するには、そのコントロールルームを使わせてもらうのがいちばんラクなのです。霊媒現象の成長は霊媒の潜在意識の中の支配的な観念をいかにコントロールするかに掛っております」 

訳者付記───ある霊媒による交霊会で霊媒の入神直後に、いつもの支配霊らしくないことをまくしたてるので列席者が戸惑っていると、ひとしきりして、こんどはいつのも調子で 「実はこの霊媒の潜在意識の中にしつこく居座っている観念があって邪魔なので、今それを吐き出したのです」 と言った。霊がしゃべると言うが、外面から想像するほど簡単なことではないことを知るべきである。 


───今の質問には潜在意識と霊媒の霊魂とは同一のものかという意味が含まれていると思うのですが・・・・・・

「それは違います。潜在意識は精神の中の意識されていない部分にすぎません。言わば貯蔵庫です。記憶の層です。身体の機能を規制しているものの中の、自動的になった部分の事です」












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