再生問題を語る
シルバーバーチの霊訓 十
七章 再生問題を語る
(前にも一度招待されたことのある熱心なスピリチュアリストが再度招かれた。霊的なことにまったく理解を示してくれない夫が重病の床にあって、今夫人はかつてない厳しい精神的試練に立たされているからだった。その夫人に向かってシルバーバーチが語る)
「今あなたが人生最大の試練に立たされていることは私から改めて指摘するまでもないことと思います、しかし、いかなる困難に取り囲まれていようと、あなたはきっと切り抜けていかれることでしょう。背後に控える力が実に強力だからです。決してあなたを見捨てるようなことはいたしません。
いかなる人生にも、赤裸々な現実に直面させられる時期が必ずあるものです。その時こそあなたの信念が確固たる知識の上に築かれていることを確認しなくてはなりません。
つまりその現実に直面することによって自分の存在価値を試され、いかに身近で切実な問題であろうと、それによってあなたがこれこそ実在であると信じているもの───絶対に裏切ることのない霊的原理から気をそらされることがない(迷わない)ことを立証させられるのです。
その点あなたは、こうした危機において砦となるべき知識へ導かれてその用意が出来ていたことは幸せというべきです。
ですから、あなたは決して首をうなだれてはなりません。表情と振舞いによって、あなたが霊的自由をもたらしてくれた真理をいささかも忘れていないことを示すように努力してください。
🕊
───子供たちもこの逆境によく耐えてくれておりますが、それとは別の問題があるのです。末の子がスピリチュアリズムや心霊的なことにとても興味を抱いているのですが、夫はまったく理解がなく、私がその子にそれを止めさせようとしないことを咎めるのです。
夫にしてみれば自分の信仰とことごとく対立することばかりなので、そのことで心を傷めております。私はどちらの気持ちを優先させるべきかが分からず悩んでいるところです。
「私は年輩の者の信仰よりも若者にとっての必要性の方が大切であると考えます。
一方は地上生活のコースを殆ど終えた段階にあります。他方はこれからという段階であり、全コースが前途に横たわっております。これまでと同じように、あなたの才覚と臨機応変の知恵を探ってください。ただし、あなたの信じる霊的原理から外れたことは絶対にしてはなりません。
自然に具わっている心霊的能力を抑え付けることが望ましいことでないことは、あなたも理解しておられるはずです。万一抑え付けるようなことをすれば、お子さんの全人的構造に歪みを生じさせることになります。自然に具わっているものを出させないようにするよりも、全人的健全さを身につけさせる方が好ましいことは言うまでもありません。
是非そこのところは、あなたなりの才覚と知恵によって、これまでと同じように、ご主人の為にもなるように工夫してみて下さい。」
🕊
───その息子は再生というものを信じているらしいのです。しかし今自分の父親が死にかかっているのを見て不安を抱いております。父親が死んで家族が別れ別れになったあと、父親がどこかに再生してしまえば、はたしてうまく再会できるかどうかが心配だと言うのです。
「そういう心配はご無用です。再生するまでには永い永い年月を要することがあるからです。あなた方の世界の諺で私もなかなか良いことを言っていると思うものに〝橋のたもとに来るまでは橋を渡ってはいけない〟(余計な取り越し苦労をするな)というのがあります。
再生は確かにあるのですが、これにはいろんな要素が絡んでおります。そのために、それが理解できない人に説明することは容易でありません。
私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。
その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。
それは、支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業(カルマ)を持った人が因果律の働きで戻って来る場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命を持って降誕する場合もあります。その霊の持つ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。
これはとても複雑な問題です。私がダイヤモンドに例えているインディビジュアリティというのがあり(厳密にいうと両者は異なる。その違いを八章で説明している───訳者)、それは、たった一回の地上生活で発揮されるパーソナリティ(人物像)よりもはるかに大きなものであるということが理解できるようでなければ、この問題は扱えません。
そのパーソナリティとインディビジュアリティとを混同している方が多いようです。一個のインディビジュアリティがいくつもの分霊を出して地上に沢山のパーソナリティを持つことが出来ます。
インディビジュアリティの物的表現、ないしは顕現です。数は沢山ですが、同じインディビジュアリティから出ているのです。
パーソナリティというのは仮面を意味するラテン語のパーソナから来た言葉で、物的身体にまつわるものを意味します。インディビジュアリティが五つの物的感覚を通して自我を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部に過ぎません。
パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、つまり本当の自我はめったに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚される大きな自我に比べると実にお粗末なものしか表現しておりません。
このようにインディビジュアリティはパーソナリティよりはるかに大きなものです。死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティによって投影された影にすぎません。
そのインディビジュアリティが、肉体の死後、地上で発揮されなかった潜在的可能性を少しずつ発揮していきます。
地上での特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きい部分───多くの側面───がまとまって一個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むという目的も兼ねているのです。
二人の人間がアフィニティ(霊的親族)であることがあります。別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつなのです。地上でそういう関係の人と一諸になれた時は、物的な富では測れない豊かさがもたらされます。アフィニティは同じダイヤモンドを構成している部分的側面です。こう申し上げても理解できないでしょうが、こうした霊的な問題は言語による説明がとても難しいのです。
一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それに幾つもの部分的側面があります。それらが別々の時代にパーソナリティとして地上に生を受けます。が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も一個のインディビジュアリティの側面であることに変わりありません。
一つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流するわけではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性を持っている場合にのみ、それが有りえます。親和性がなければ再会はありません。霊的のレベルが違うからです。
夫婦の場合であれば、身体上の結婚だけでなく魂と精神においても結ばれていなければ、霊界での再会は不可能です。再会を決定づけるのは霊的親和性です。死後しばらくは血縁によるバイブレーションが残っていますが、それには永続性がありません。
霊は物質に勝ります。霊に関わるものは死後にも残り続けますが、物質に関わるものはそのうち消えます。お子さんにそのことをよく説明してあげないといけません。
なかなかうまく説明できないかも知れませんが、とにかくすべてが不変の法則によって支配されているのです。その法則の根本にあるものは愛です。愛は大霊の表現です。神、創造主、どう呼ばれても結構です。
首をうなだれてはいけません。あなたはしっかりと導かれ援助を受けておられます。きっと乗り切ることが出来ます。一瞬たりとも挫折の心配を抱いてはなりません。このたびの経験は結果的にはあなたの霊性を強化し、前途に横たわる未来において大きな豊かさをもたらしてくれる貴重な教訓を植え付けてくれることでしょう。
私は地上の同志の方に気楽な人生、何の障害もない人生をお約束することは絶対にできません。私から言えることは、障害も困難もその一つ一つが挑戦すべき目標だということです。一つ克服するごとに、あなたは霊的に成長するのです。
地上の人間はいつかは死ななくてはなりません。物的身体を携えて永遠に生きるということは、自然法則上、不可能なことです。
無知と迷信から生まれる死の恐怖さえ克服すれば、地上の人間にとって死が暗闇から光明へ導いてくれる天使であり、地上で活用されることのなかった才覚と能力とを発揮する好機を与えてくれるものとして歓迎するようになることでしょう。
🕊
───〝霊〟(スピリット)と〝魂〟(ソウル)の違いについて教えていただけませんか。スピリチュアリズムの七つの綱領の中で私たちは死後の個性の存続をうたっておりますが、次に生まれ変わる時、実際に再生するのは最初の霊の個性とは別のものでしょうか。
「これはまた厄介な質問をしてくださいました。問題は用語にあります。言語を超えたものを説明するための用語を見つけなければならないので厄介なのです。
魂と霊の違いがその好例です。使用する際にはどういう意味で使用するかを明確にしないといけません。ここでは単純に、魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性ということにしましょう。そして霊とはその魂の媒質(※)です。
それが肉体から分離すると地上時代よりはるかに自由自在に機能を発揮するようになります。肉体は物質でできています。それが霊の表現を制約しているのです。
(※現象界においてはこの二者が一体となって初めて存在できるもので、切り離すことができない。日本語の〝霊魂〟という言い方はその意味で当を得ているが、問題はその理解である。しかし厳密に言えば違いはあっても、実際にはシルバーバーチも置き換えて使用することが多い。
次元が異なるので、止むを得ないことであろう。それはちょうど太陽は厳密に言えば東から昇ってもいないし西に沈んでもいないが、地上から見る限りはそう表現するよりほかに方法がないのと同じであろう。第二巻〝霊〟と〝魂〟についての解説参照───訳者)
それゆえ、あなた方は霊をたずさえた魂であり、それが肉体を通して自我を表現しているのです。パーソナリティというのはその肉体を携えた地上生活において表現されている側面のことでしかありません。それは本当の自我であるインディビジュアリティのごく小さな一部にすぎません。肉体に包まれているために存分に自我を発揮できないのです。
🕊
───次に生まれ変わるのはその地上生活で発揮したパーソナリティ(人物像)ではなくて、その奥の霊または魂なのですね。
「その通りです。前回の地上生活の時と同じ人物がそっくり再生してくることは有りえません。人物像は肉体の死と共に消滅します。それはインディビジュアリティの物的表現にすぎません。
───私の考えでは、われわれは皆、かつてはもっと大きな意識を持っていたのを、今こうして地上に存在している間はそれを放棄し、死後霊界へ行ってからそれを取り戻すのだと理解しております。そう考えるといろんな疑問が解けるのです。
あなたは今歩んでいる道を地上に来る前に選択されたのです。その時はその大きな意識で自覚しておられたのです。それが肉体に宿り脳を通して意識するようになって曇らされているのです。脳の意識では潜在意識の深奥は探れないからです。
その誕生前の意識を目覚めさせるためには、その触媒となるべき危機的体験を積まねばなりません。いつかは明瞭に意識する日が来ます。」
🕊
───地上へ誕生しようとするのは何か特別やりたいことがあるからでしょうか、それとも、より多くの知識を得るためでしょうか。
「(両方ともそうですが)それ以外にも何か奉仕的な仕事を行い、その中で神から授かった霊的資質を開発するための場合もあります。───私にとっては霊的知識こそ神からの授かりものです。無限なる叡智を持つ神があなたに授けられたのです。」
🕊
───ある書物に、われわれは同時に二つの場所に生まれ出ることができると書いてありました。事実でしょうか。
「私は、真の自我であるダイヤモンドには無数の側面があり、それがさまざまな体験を持ち帰ってダイヤモンドの光沢を増す、という考えです。ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。いかなる身体もインディビジュアリティのすべてを宿すことは不可能だからです。
パーソナリティとインディビジュアリティの違いを理解しないといけません。パーソナリティというのは物的身体を通して顕現した地上だけの人物像です。インディビジュアリティというのは魂の全体像です。その全体像を地上で七〇年や八〇年、あるいは九〇年の間に発揮することは到底不可能です。
〝われわれ〟とおっしゃった同じダイヤモンドの仲間の別の側面が同時に地上へ誕生することは有り得ることです。が、すべては法則と秩序によって規制されております。その時期が来るまでは余計な心配はなさらぬことです。
もう一度生まれ変わりたいという願望を持つようになる人がいます。奉仕的活動をしたいという場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的な〝借金〟が残っている場合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。
二度、三度と繰り返すこともあります。が、いずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです。
再生したくないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚めた人は再生してくる必要はありません。」
🕊
───なぜ再生してこない人がいるのでしょうか。そういう人はそれから先どうなるのでしょうか。
「支払うべきカルマの負債もなく、やらねばならない仕事もないからです。地上での用事がすっかり終わったということです。もう地上へ戻ってきてすることがないのです。地上との一切の縁を切って、霊界での向上進化に専念することが出来ます。」
🕊
───もう下層界へ下りることがないわけですね。ひたすら上へ向けて進歩し、下降することがないのですね。
「進化は常に向上です。下降であれば退化となります。もっとも、進化は必ずしも直線的なものではありません。渦巻状(スパイラル)に同じことを繰り返しているようで、実際には着実に向上しています。
そこには因果律という自然の摂理が働いており、完全な公正が支配しています。人間の法律はごまかせますが、神の摂理はごまかせません。因果律が生み出すものには絶対的に従わねばなりません。あなたが心配なさる必要はありません。
ここでぜひ指摘しておきたいのは、地上の人間は再生というものを、今の自分にない一種の栄光に憧れる気持ちから信じている場合が多いということです。人間世界でいうところの 〝劣等感〟(コンプレックス)です。
現在の自分の身の上がいくら惨めでも、かつて前世では高貴な身の上だったのだと信じることによって慰めを得ようとするのです。
しかし再生とはそういうものではありません。(前世では〇〇という人物だったというのはナンセンスです、と別のところで述べている──訳者)。 自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそうなるとは限りませんが、その場合は霊界において清算されます。そういうものなのです。」
🕊
───霊界へ行ってからでもカルマを清算することが出来るのでしょうか。
「無論です。それが普通です。」
🕊
───ではなぜ地上へ戻って来るのでしょうか。
「地上でしか支払えない借りがあるからです。地上の危急存亡の時に当たって何かの貢献をしたいという自発的な願望から、再生の道を選ぶのです。みんな何らかの貢献をするために再生してくるのです。すべてに計画があるのです。」
🕊
───私だったらこの地上よりそちらで償いをしたいですね!
「選択の自由は与えられています。が、忘れないでいただきたいのは、その自由意志も相対的なものであることです。やりたくてもできないことがあり、また、どうしても選べないコースというのがあります。最終的にはあなたがそれまでに到達した霊的進化の程度が、次に取るべき手段を決定づけるからです。」
🕊
(スイスからの招待客が質問する)
───地上へ再生するまでに霊界で何年くらい、あるいは何世紀くらい待つのでしょうか。一〇六〇年という説があり、男性だった者は女性に生まれ変わるというのですが、本当でしょうか。
「その数字はどなたが計算されたのでしょうか。」
🕊
───ある大学の講演で聞きました。
地上に戻ってくる人がいることは事実です。再生してくるわけですが、それまでの間隔は別に一定の年数が決められているわけではなく、あくまでも一つの計算に基づいてそうなるのです。
「カルマによる義務の遂行のために戻ってくる人もいれば、自発的に地上での貢献を目的として戻ってくる人もいます。男性として戻ってくるか女性として戻ってくるかは、格別に重大なことではありません。私たちの世界には性差別防止条例はありませんので!
霊的進化の程度が唯一の基準です。男性であるか女性であるかは問題ではありません。大切なのはその人の行為です。
また、男性と女性にはそれぞれに果たすべき役目があり、双方が一体となって完全な全体ができあがるように、互いに補完し合うようになっているのです。互いがアフィニティであることを見つけ合うことがあるのはそのためです。そうなったら二度と別れ別れにはなりません。」
🕊
───戻ってくることもあり戻ってこないこともあるということですね。
「為すべき仕事があればそれをしに戻ってきます。仕事が未完のまま残されていればそれを仕上げに戻ってきます。すべては法則と秩序の問題です。ともかく地上で表現する自我は大きなインディビジュアリティのごく一部に過ぎません。」
🕊
───前世を思い出すのに催眠術を使用するのがブームになっております。あのような体験で教訓が学べるものでしょうか。
「学べることが皆無というわけではありません。が、そうした体験には、単に現在の自分が立派でないことから、潜在意識が立派でありたかった願望を描こうとする、一種の虚栄心の表れであることがあります。
別のケースとして、それにカルマが絡んでいる場合があり、過去世において大きな影響を及ぼした苦難または悲劇を現世で呼び戻し、それを意識することでカルマが消滅することがあります。
これは好い結果をもたらす例です。が、それがただの取りとめもない想像にすぎないことが多いのです。もう一つのケースとして、催眠状態における憑依霊の仕業である場合もあります。」
🕊
───普通だったらとっくに死んでいる筈の患者が医術によって何か月も生き続けている場合があるように思うのですが、こういう場合はどうなるのでしょうか。
「死ぬべき時期がくれば、いかなる医師も生かし続けることはできません。」
🕊
───でも、そう思えるケースがよくあります。例えば最近ではアメリカの少女の例があります。
「その子の場合、医師が死期を延ばしているという証拠はどこにあるのでしょう?私が理解しているかぎりでは、地上の医師はまだ死期について確定的なことは分かっておりません。正確な死の瞬間について論争が続いているではありませんか。
死の過程は生命の糸(シルバーコード)が切れて霊体が肉体を離れた瞬間をもって終了します。その時初めて〝死んだ〟と言えるのです。いったんその分離が生じたら最後、いかなる医師も肉体を蘇生させることはできません。」
🕊
───催眠術による遡及によって過去世の証拠が得られるものでしょうか。実際にはただの霊の憑依ないしは支配にすぎないでしょうか。
「いわゆる遡及によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません。しかし、必ずしもそうでないところに問題があるのです。
それというのも、人間の精神には莫大な可能性が秘められており、地上の人間には到底その深奥まで掘り下げることはできないからです。創造力もありますし、潜在的願望もありますし、霊によって憑依される可能性もあります。
こうした要素をすべて考慮に入れなくてはなりません。催眠中に体外遊離(幽体離脱)が起きて、その間の一連の記憶が印象づけられることもあります。こうした場合は過去世を思い出していることにはなりません。」
🕊
───生れ変わる時は知り合いの霊の仲間ないしは高級霊団による指示と助力を受けるということを米国の心理学者が催眠術による遡及を通じて明らかにしているのですが、これについてどう思われますか。
「地上で奉仕的な仕事に献身したいという自覚をもった霊は自発的に再生します。が、霊的真理に目覚めるまでに相当な期間を要することがあり、そうした霊の場合は守護霊や指導霊が手助けします。
私はそうした問題については、いわゆる催眠術による遡及は頼りにならないと考えます。催眠術者は、せいぜい、前世とおぼしきものを引き出そうとしているに過ぎません。」
🕊
───その米国の心理学者は被術者に再生する時に痛みとか恐怖心とかが無かったのかを聞いております。
「施術者の動機がいかに真面目であっても、催眠術による前世への遡及はよくよく用心して掛からないといけません。催眠術の基本は〝暗示性〟にあります。したがって施術者が述べていることは控え目に受け取らないといけません。被術者は必ずしも施術者の暗示通りに反応しているとは限らないからです。」
シルバーバーチ
訳者注───ここで催眠術がテーマとなっているが、基本的には霊能者や審神者(サニワ)についても言えることで、見当違いのことを大まじめにやっていることがあるので用心が肝要である。その弊害に陥らないための最大の武器は、やはり、しっかりとした心霊学の知識である。
心霊学は霊的なことについての学問であるから、霊的なことに関わる人のすべてが心得ておくべきものであるはずなのに、神道や仏教の当事者はもとよりのこと、霊能者、霊媒及びその審神者が基本的な知識すら持ち合わせていないことに呆れることがあるし、何と危険なことだろうと、恐ろしささえ覚えることがある。
そうした事実を考慮して私は『霊訓』の続編である 『インペレーター霊訓』 の冒頭で霊的通信の入手経路について概略を述べておいた。またインペレーターの霊言及び自動書記通信の中には霊媒及び霊能者に対する忠言、特に邪霊・悪霊・イタズラ霊の存在について言及しているものが多く見られるので、ぜひ参考にしていただきたい。
見た目に清潔そうに見えてもバイ菌がうようよしているように、平凡な日常生活の背後にバイ菌のような霊がうようよしている。問題はそうした霊に操られた霊能者や霊媒が多すぎることである。それは最近の書店の心霊コーナーを見れば一目瞭然であろう。
嘆かわしいことこの上ないが、これも凡人には測り知れない神の計画の一端なのかもしれないと思って諦めつつも、せめてそれが真実でないことを指摘することだけはすべきだという考えから、敢えて付言させていただいた。
事のついでであるが、私が親しくしている米国人のスピリチュアリストに最近の米国の心霊事情を尋ねたところ、英国に比べて精神的なものより現象的なものが多く、しかもいかにも米国らしくスケールの大きい催しがあるが、
いかがわしいものが多いので自分は久しくそういう催しに出席していないと言い、個人的には英国のスピリチュアリズムの方が性分に合っている、とのことだった。
その英国のサイキックニューズ紙の最新号(二二・八・一九八七)で主筆のオーツセンが、編集手帳のようなコラムの中で面白い話を持ち出して、それに厳しい批判を加えている。
あらましだけを拾って紹介すると、ある日オーツセンに電話でいい霊媒を紹介してほしいという依頼があった。わけを聞くと、エルビス・プレスリーの十周忌の記念行事としてプレスリーの霊を呼び出すための〝国際的交霊会〟を催したいという。
アメリカとオーストラリアの方はすでに話がついているが、イギリスからも参加してもらいたいという。オーツセンは無論それを断ったと述べてから次のように警告している。
「正直言って私はジャーナリストやテレビ局からのこの種の依頼にうんざりしている。
名前を呼べば簡単に出てきてしゃべってくれると思っているらしいが、霊との交信はそういう調子にはいかないのである。
いかなる霊媒も、こちらから霊を呼び出すことはできない。あくまで霊の方から親近性と愛を掛け橋として戻ってくるのである。依頼されればどんな霊でも呼び出してあげられると豪語する霊媒は今すぐ霊能養成会へ行って一からやり直すしかない」
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