霊の力は生命の力


霊は全生命の創造力であるからこそじっとしていることができず、どこかに新しい捌け口を求め、従って満足することがないのです。何も霊媒現象を通して働くばかりが霊力ではありません。

芸術家を通して、哲学者を通して、あるいは科学者を通しても発現することができます。要するにあなた方自身の霊的自覚を深める行為、あなた方より恵まれない人々に何か役に立つ仕事に携わることです。看板は何であっても構いません。

もしも霊の最高の宝が努力なしに手に入るものだとしたら、これは永遠の叡知を嘲笑うことになります。これは絶対的摂理として受け入れなくてはいけません。私はかつて一度たりとも神が光と善にのみ宿ると述べたことはないつもりです。

善と悪の双方に宿るのです。無限絶対の存在である以上、神は存在の全てに宿ります。宇宙間の出来ごとの一部だけを除外して、これだけは神とは別個のもの、何かしら、誰かしら、とにかく別種のエネルギーの仕業であるなどとは言えません。
私はいつも宇宙は全て両極性によって成り立っていると申しております。

暗闇の存在が認識されるのは光があればこそです。光の存在が認識されるのは暗闇があるからこそです。善の存在を認識するのは悪があるからこそです。悪の存在を認識するのは善があるからこそです。

つまり光と闇、善と悪を生む力は同じものなのです。その根源的な力がどちらへ発揮されるかは神の関わる問題ではなく、あなた方の自由意志に関わる問題です。そこに選択の余地があり、そこに発達のチャンスがあるということです。

地球は完全な状態で創造されたのではありません。個々の人間も完全な状態で創造されたのではありません。完全性を潜在的に宿しているということです。その潜在的完全性が神からの霊的遺産であり、これを開発することが個人の責務ということです。

それには自由意志を行使する余地が与えられています。善か悪か、利己主義か無私か、慈悲か残酷か、その選択はあなたの自由ということです。ただし忘れてならないのは、どちらの方向へ進もうと、神との縁は絶対に切れないということです。

神の力とエネルギーと援助を呼び込むための手段は常に用意されています。しかしそのためには時には魂の奥の間に引きこもり、その静寂の中でできるだけ神との融合を保つことを怠ってはなりません。

私たちは相互援助と相互扶助の縁によって結ばれ、互いに役立つものを施し合っております。ここまで目を開かせていただいたことを神に感謝しましょう。これを土台として、私たちを創造し育み続けて下さる御力の存在を信じましょう。

その御力が自分より恵まれぬ人々に施されるための通路となるよう心掛けましょう。私たちは神の御前にいるのだという自覚を常に忘れず、手を差しのべさえすれば必要なものが能力に見合っただけ施されることを忘れないように致しましょう。それは無限の可能性を秘めた無限なる霊の無限なるエネルギーなのです。

シルバーバーチ





 

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