シルバーバーチの使命

さてシルバー・バーチは最終的に「説教」の手段を選びました。が、これは心霊現象の演出よりはるかに根気と自信のいる仕事です。なぜ困難な方を選んだのか。それをシルバー・バーチ自身に語ってもらいましょう。

『自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私はいわば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意しました。真理をできるだけ解り易く説いてみよう。常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい。そうすることによって私がなるほど神の使者であるということを身をもって証明しよう。そう決心したのです。
同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。
結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何ものでもないということです。私が誰であるかということが一体何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はしあわせなのです。
人間の宗教の歴史をふり返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏の座にまつり上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団の使命は、そうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。
そうした人々が説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうが卑しい乞食であろうが、そんなことはどうでもいいことではありませんか。

私どもは決して真実からはずれたことは申しません。品位を汚すようなことも申しません。また人間の名誉を傷つけるようなことも申しません。私どもの願いは地上の人間に生きるよろこびを与え、地上生活の意義は何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、
 その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているか、そして又、人類同士がいかに強い家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。
といって、別に事新しいことを説こうというのではありません。すぐれた霊覚者が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにして来たために私どもが改めてもう一度説き直す必要が生じてきたのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。
人類は自分の誤った考えによって今まさに破滅の一歩手前まで来ております、やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば殺し合いなどしないだろうと思うのですが・・・。神は地上に十分な恵みを用意しているのに飢えに苦しむ人が多すぎます。
新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴さず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。欠乏の度合がひどすぎます。貧苦の度が過ぎます。そして悲劇が多すぎます。
 
物質界全体を不満の暗雲が覆っています。その暗雲を払いのけ、温かい太陽の光の差す日が来るか来ぬかは、人間の自由意志一つにかかっているのです。
一人の人間が他の一人の人間を救おうと努力するとき、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善行の努力は絶対に無駄にはされません。奉仕の精神も決して無駄に終わることはありません。
誰れかが先頭に立って薮を切り開き、あとに続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらねばなりません。やがてそこに道が出来あがり、通れば通るほど平坦になっていくことでしょう。

高級神霊界の神々が目にいっぱい涙を浮かべて悲しんでおられる姿を時おり見かけることがあります。今こそと思って見守っていたせっかくの善行のチャンスが、人間の誤解と偏見とによって踏みにじられ、無駄に終わっていくのを見るからです。
そうかと思うと、うれしさに顔を思い切りほころばせているのを見かけることもあります。無名の平凡人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯をともしてくれたからです。
私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんがために、他の大勢の同志と共に、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。その目的は、神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。
物質界に降りてくるのは、正直言って、あまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。たとえてみれば、弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。
従って当然、生きるよろこびに溢れている人はほとんど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。

私が定住している世界は光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真の生きるよろこびがみなぎり、適材適所の仕事に忙しくたずさわり、奉仕の精神にあふれ、互いに己れの足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。
それにひきかえ、この地上に見る世界は幸せであるべき所に不幸があり、光があるべき所に暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものはすべて用意してあるのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。
それを取り除いてくれと言われても、それは私どもには出来ないのです、私どもに出来るのは、物質に包まれたあなた方に神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えてさしあげるだけです。ここにおられる方にはぜひ、霊的真理を知るとこんなに幸せになれるのだということを、身をもって示していただきたいのです。

もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えてさしあげることが出来たら、これに過ぎるよろこびはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことができれば、こうして地上に降りて来た努力の一端が報われたことになりましょう。
私ども霊団は決してあなた方人間の果たすべき本来の義務を肩がわりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとするだけです。』


この物質界は霊界から見てそんなにひどいところなのだろうか───右のシルバー・バーチの言葉を読まれた方の中にはそんな感慨を抱かれた方が少なくなかろうと思います。
 が、シルバー・バーチなどは霊言現象のせいで言葉に気をつけて表現しているほうで、一ばんひどいのになると「地球はまるでゴミ溜めのようなもの」と書いている霊もいます。
ここで参考までに有名な霊界通信のマイヤースの「個人的存在の彼方」を開いてみますと、第一部の第一章から地上生活に対して厳しい観察を述べています。
その表現も「このケチくさいチャチな時代」となっているのですから、およその雰囲気は察せられると思いますが、この章は浅野和三郎訳では省略されておりますので、その中から部分的に抜粋して紹介してみましょう。
マイヤースは地上時代は古典学者であると同時に詩人でもありましたから、さすがに表現はおだやかですが、その意味するところは深長なものがあります。

『健全なる精神と健全なる肉体───古代ギリシャ人が求めた理想、つまり美と力への憧憬を今こそ地球人類はわが理想、わが憧憬としなければならない。私は今、地球を言うなれば山の頂上から眺める立場にある。そこから見る地上は、将来に対する真の洞察、熱慮ある反省ももたぬ盲目同然の群集がただ右往左往するのみである。
幼児期の思考と夢が既にその子の未来の原型を形成しているという。あたかも陶器が焼窯に入れられて固く仕上げられる以前に既に形が出来ているように、人間の未来も歴史的過去において既に変えがたい形体が造られ、それが〝現在〟という時を通りすぎ、〝永遠〟という名の神の時刻の中に記録されていくのである。
それ故わたしは、今まさに幼児期にあってこれからの未来を形づくりつつある人類に対し、古代ギリシャ人が求めた夢と理想───心と身体の健全さ、美と力への憧憬を思い出してもらいたいのである。
私は決して人類に咎め立てする気もなければ、いたずらに迷わせるつもりで言うのではないが、現代人は人間というものを機械から截然(セツゼン)と切り離し、人生を〝金銭〟から切離して考えるよう切望してやまない。
絶え間なく回転し、文化生活とやらの担い手である、あの怪物の如き機械のジャングルの中にあっては、健全なる知識を産み出す静思や瞑想の時も雰囲気も見出せない。いったんその現代の怪物───唯物主義という名の悪魔の最後の権化である機械───の虜になったが最期、いかに深刻な運命が人類を待ち受けているかは、正に知る者のみぞ知る、である。

二千年あまり前、神の御子イエス・キリストは地上に降りて肉体をまとい、その生きざまによって天上の美をこの世にもたらした。この二十世紀においては唯物主義の申し子である〝機械〟が地上に降り、その教義が今まさに全世界を席巻しつつある、そしてそれを人類は熱心に、熱烈に信仰している。
が、ここにもう一つの怪物がいる。大都会という名の怪物である。現代の都会は人間の集まりであるより、むしろ一つの機械の如き性格を帯びつつあり、このまま進めば、その機械が人間を振り回すことになりかねない。恐ろしいのは、その人間の集団が一つの集団心理に巻き込まれて、一気に戦争に突入することである。
がそういう極端な形はとらなくても、人口の増加とそれに伴って増えるであろう無能な人間、弱い人間、堕落した人間、そして精神病者等によって不幸が生まれ悲劇が広がる危険性が多分にある。大都会という名の唯物主義の申し子は、ただ盲目的に質よりも量を求める。ただ機械的に人口を増やし、その結果不幸をも増やす。
私は機械なんかブチ壊してしまえと言っているのではない。機械の本質をよくわきまえてほしいと言っているのである。魂をもたぬ機械は、思考する動物である人間の下僕であるべきであって、断じて主人の座に据えられるべきではない。
言い変えれば人間の生活と心に深刻なまでに影響を及ぼしている機械の力を人間自身がコントロールしチェックできるようでなければならない。その上でならば、人類の霊的進化のために、具われる力を思い切り発揮し、肉体と五感のよろこびを健全に味わいつつ、近代文明がふんだんにもたらしてくれる洪水の如き機械製品の恩恵に浴すればよいのである。』


この警告が第二次世界大戦前の一九三〇年代に出ていたという事実は、われわれ日本人にもいろいろと示唆を与えてくれます。警告どおり日本は、マイヤースの言葉を借りれば、「丘を駈け下りるように」戦争への道を突進し、そして敗戦を迎えました。
そして一時は目覚ましい復興ぶりを見せますが、今や機械化された現代社会、言いかえれば人間性を喪失した科学技術文明の悪弊に悩まされ始めていることは、心ある人なら先刻お気づきのことでしょう。
これは日本に限ったことではありません。世界の先進国といわれている近代国家は例外なくそうした文明病に悩まされています。
なぜでしょう。なぜ人間は間違った方向にばかりに走りたがるのでしょう。
シルバー・バーチの霊言に耳を傾ける前に私は、そうした人間の愚かさを批判し警鐘を鳴らしつづけている数多くの良識ある知識人の一人である生化学者のセント・ジェルジ博士 Albert Szent-Gyorgyi の意見を紹介したいと思います。
博士はハンガリー生まれで現在はアメリカに在住していますが、ビタミンCの発見者として知られ、一九三七年にノーベル賞を受賞しています。
もっとも博士は、受賞で得た〝生涯のんびり食べていけるほどのお金〟を、これは国民の税金だからということで、社会に還元する方向でいっぺんに使い果たしています。
この事実一つだけでも博士の物の考え方がほぼ察しがつくというものですが、私の手許にある著書は特にこれからの若い世代のために書いた The Crazy Ape (狂った猿)という小冊子です。その「まえがき」の中でこう述べています。

『人類が今まさに歴史始まって以来の最大の危機に直面していること、つまり、このまま行けば人類全体がそう遠からぬ将来においていっぺんに滅亡することも十分にありうるという危険な時期にさしかかっていることに、ほぼ疑いの余地はない。
なぜこんなことになってしまったのか、どうすればその危機から脱することが出来るかについては、数えきれないほどの意見が説かれてきた。軍事的見地から、政治的立場から、社会的観点から、経済的角度から、科学技術的な面から、はたまた歴史的見地から、それなりの分析が為されてきた。
しかしながら、一つだけ大きく見落されている要素がある。それは、人間それ自身───生物学的存在としての人間そのものである。(中略)究極の問題は、はたして人類はおよそまともな人間のすることとは思えない、言わば狂った猿とでもいうべき振舞いをする現状を首尾よく切り抜けられるかということである。』

そして続く第一章の冒頭でこう述べています。
 『人間はなぜ愚の骨頂ともいうべき振舞をするのか。それが私がこれから取り扱う問題である。ある意味では今日ほど人生をエンジョイできる時代は歴史上かつてなかった。寒さにふるえることもない。空腹を耐えしのぶということもない。病気でコロコロ死んでいくということもなくなった。
つまり生きていく上で最低限必要とされるものが全て充足されたのは現代がはじめてのことであろう。ところが同時に、自らこしらえた爆弾のたった一発で人類全部を絶滅し、あるいは環境汚染によってこの愛すべき母なる大地を住めない場所にしてしまう可能性をもつに至ったのも、歴史上はじめてのことである。』

さらに次のような興味深い物の観方を提言して第一章をしめくくります。
『もし人間が真に愚かであるとしたら、一体どうして地球上に発生してからの百万年という歳月を首尾よく生き抜いてこれたのであろうか。この問いに対しては二つの考え方ができるように思う。
一つは、人間は決してそんな愚かな存在ではない。むしろ地球という生活環境の方が人類が適応できないほどまでに変化してしまったのだという考えである。がもう一つ、こうも考えることが出来よう。すなわち人間は今も昔も少しも変わってはいない。人類というのは本来が自己破壊的なのだ。
ただこれまでは、一度に絶滅させるほど強力な武器を持つに至らなかっただけなのだというのである。確かに人間の歴史は無意味な殺し合いと破壊の連続であった。
それが人類絶滅という事態に至らしめなかったのは、殺人の道具が原始的で威力に欠けていたからというにすぎない。だからこそ、どんなに烈しい戦争でも多くの生存者がいたわけである。が現代の科学技術の発達で事情が一変してしまった。今や人類は集団自殺の道しかないのだ。
この二つの考えのどちらが正しいにせよ、とにもかくにもこの危機を切り抜けて生き延びるためには、一体どこがどう間違ってこんな事態に至ったかを見極め、そこから抜け出る可能性もしくは良い方法があるのかどうかを早急に検討しなければならない。』

翻訳権の問題がありますのであまり多くを紹介できないのが残念ですが、私があえてスピリチュアリズムに直接関係のない人の意見を紹介したのは、スピリチュアリズムに関係のない、あるいは心霊を知らない人で案外スピリチュアリズム的な透徹した物の考え方をしている人が幾らでもいることを痛感しているからです。
論語読みの論語知らずという諺がありますが、心霊心霊とやたらに心霊を口にする人、あるいはその道の本まで書いている人がまるで心霊の真髄を理解していないことが多いのにはウンザリさせられます。私は主義として、心霊とかスピリチュアリズムということを口にすることは滅多にありません。
そうしたものは自分の人生観や物の考え方の中で消化醗酵させておけばいいのであって、それが無形のエネルギーとして生きる力となり、人間性や生活態度に反映していくのだと信じているからです。
やはり人間の全てを決するのはその人の日常生活ではないでしょうか。シルバー・バーチもその点を繰り返し協調しています。

 『唯物主義者や無神論者は死後の世界でどんなことになるのかという質問をよく受けますが、宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが人間を長いこと迷わせて来たようです。実際は必ずしもそうばかりとも言えないのです。
ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。祭壇の前にひれ伏し神への忠誠を誓い〝選ばれし者〟の一人になったと信じている人よりも、唯物主義者とか無神論者、合理主義者、不可知論者といった宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いといったケースがいくらもあります。
問題は何を信じるかではなくて、これまでどんなことをして来たかです。そうでないと神の公正(Justice)が根本から崩れます。』

少しわき道にそれたようですが、ではシルバー・バーチは右のセント・ジェルジ博士の提起した問題にどう答えるか、それをみてみましょう。シルバー・バーチは語ります。

『人間はなぜ戦争をするのか。それについてあなた方自身はどう思いますか。なぜ悲劇を繰り返すのか、その原因は何だと思いますか。なぜ人間世界に悲しみが絶えないのでしょうか。
その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感という限られた感覚でしか物事を見ることが出来ないために、万物の背後に絶対的統一原理である〝神〟が宿っていることを理解できないからです。宇宙全体を唯一絶対の霊が支配しているということです。
ところが人間は何かにつけて〝差別〟をつけようとします。そこから混乱が生じ、不幸が生まれ、そして破壊へと向かうのです。
 前にも言ったとおり、私どもはあなた方が〝野蛮人〟と呼んでいるインデアンですが、あなた方文明人が忘れてしまったその絶対神の摂理を説くために戻ってまいりました。
あなた方文明人は物質界にしか通用しない組織の上に人生を築こうと努力してきました。言いかえれば、神の摂理から遠くはずれた文明を築かんがために教育し、修養し、努力してきたということです。
人間世界が堕落してしまったのはそのためなのです。古い時代の文明が破滅したように、現代の物質文明は完全に破滅状態に陥っています。
その瓦礫を一つ一つ拾い上げて、束の間の繁栄でなく、永遠の神の摂理の上に今一度文明を築き直す、そのお手伝いをするために私どもは地上に戻ってまいりました。
それは、私どもスピリットと同様に、物質に包まれた人間にも〝神の愛〟という同じ血が流れているからに外なりません。
こう言うと、こんなことをおっしゃる人物がいるかもしれません。“イヤ、それは大きなお世話だ。われわれ白人は有色人種の手を借りてまで世の中を良くしようとは思わない。白人は白人の手で何とかしよう。有色人種の手を借りるくらいなら不幸のままでいる方がまだましだ〟と。
しかし、何とおっしゃろうと、霊界と地上とは互いにもたれ合って進歩して行くものなのです。地上の文明を見ていると、霊界の者にも為になることが多々あります。
私どもは霊界で学んだことをあなた方に教えてあげようと努力し、同時にあなた方の考えから成る程と思うことを吸収しようと努めます。その相互扶助の関係の中にこそ地上天国への道が見出されるのです。
 
そのうち地上のすべての人種が差別なく混り合う日がまいりましょう。どの人種にもそれなりの使命があるからです。それぞれに貢献すべき役割を持っているからです。
霊眼をもって見れば、すべての人種がそれぞれの長所と、独自の文化と、独自の教養を持ち寄って調和のとれた生活を送るようになる日が、次第に近づきつつあるのが分かります。
ここに集まられたあなた方と私、そして私に協力してくれているスピリットはみな、神の御心を地上に実現させるために遣わされた〝神の使徒〟なのです。私たちはよく誤解されます。
同志と思っていた者がいつしか敵の側にまわることがしばしばあります。しかしだからといって仕事の手をゆるめるわけにはいきません。神の目から見て一ばん正しいことを行っているが故に、地上にない霊界の強力なエネルギーのすべてを結集して、その遂行に当たります。
徐々にではあっても必ずや善が悪を滅ぼし、正義が不正を駆逐し、真が偽をあばいていきます。時には物質界の力にわれわれ霊界の力が圧倒され、あとずさりさせられることがあります。しかしそれも一時のことです。
われわれはきっと目的を成就します。自ら犯した過ちから人間を救い出し、もっと高尚でもっと気の利いた生き方を教えてあげたい。お互いがお互いのために生きられるようにしてあげたい。
そうすることによって心と霊と頭脳が豊かになり、この世的な平和や幸福でなく、霊的なやすらぎと幸福とに浴することが出来るようにしてあげたいと願っているのです。
それは大変な仕事ではあります。が、あなた方と私たちを結びつけ一致団結させている絆は神聖なるものです。どうか父なる神の力が一歩でも地上の子等に近づけるように、共に手を取り合って、神の摂理の前進を阻もうとする勢力を駆逐していこうではありませんか。
こうして語っている私のささやかな言葉が少しでもあなた方にとって役に立つものであれば、その言葉は当然それを知らずにいる、あなた方以外の人々にも、私がこうして語っているように次々と語りつがれていくべきです。自分が得た真理を次の人へ伝えてあげる───それが真理を知った者の義務なのです。

私とて、霊界生活で知り得た範囲の神の摂理を、英語という地上の言語に翻訳して語り伝えているに過ぎません。
それを耳にし、あるいは目にされた方の全てが、必ずしも私の解釈の仕方に得心がいくとはかぎらないでしょう。しかし忘れないでください。私はあなた方の世界とはまったく次元の異なる世界の人間です。英語という言語には限界があり、この霊媒にも限界があります。
ですから、もしも私の語った言葉が十分納得できない場合は、それはあなた方がまだその真理を理解する段階にまで至っていないか、それともその真理が地上の言語で表現し得る限界を超えた要素をもっているために、私の表現がその意味を十分に伝え切っていないかの、いずれかでありましょう。
 
しかし私はいつでも真理を説く用意ができています。地上の人間がその本来の姿で生きていくには、神の摂理、霊的真理を理解する以外にないからです。盲目でいるよりは見える方がいいはずです。聞こえないよりは聞こえた方がいいはずです。居睡りをしているよりは目覚めていた方がいいはずです。
皆さんと共に、そういった居睡りをしている魂を目覚めさせ、神の摂理に耳を傾けさせてやるべく努力しようではありませんか。それが神と一体となった生活への唯一絶対の道だからです。
そうなれば身も心も安らぎを覚えることでしょう。大宇宙のリズムと一体となり、不和も対立も消えてしまいましょう。それを境に、それまでとは全く違った新しい生活が始まります。
知識はすべて大切です。これだけ知っておれば十分だ、などと考えてはいけません。私の方は知っていることを全部お教えしようと努力しているのですから、あなた方は吸収できるかぎり吸収するよう努めていただきたい。
こんなことを言うのは、決して私があなた方より偉いと思っているからではありません。知識の豊富さを自慢したいからでもありません。自分の知り得たことを他人に授けてあげることこそ私にとっての奉仕の道だと心得ているからにほかなりません。

知識にも一つ一つ段階があります。その知識の階段を一つ一つ昇っていくのが進歩ということですから、もうこの辺でよかろうと、階段のどこかで腰を下ろしてしまってはいけません。人生を本当に理解する、つまり悟るためには、その一つ一つを理解し吸収していくほかに道はありません。
このことは物質的なことにかぎりません。霊的なことについても同じことが言えるのです。というのは、あなた方は身体は物質界にあっても実質的には常に霊的世界で生活しているのです。
従って物的援助と同時に霊的援助すなわち霊的知識も欠かすことが出来ないのです。ここのところをよく認識していただきたい。あなた方も実際は霊的世界に生きている───物質はホンの束の間の映像にすぎないのだ───これが私たちのメッセージの根幹をなすものです。
そのことにいち早く気づかれた方々がその真理に忠実な生活を送って下されば、私たちの仕事も一層やりやすくなります。スピリットの声に耳を傾け、心霊現象の中に霊的真理の一端を見出した人々が、小さな我欲を棄て、高尚な大義の為に己れを棄てて下されば、尚一層大きな成果を挙げることが出来ましょう。

繰り返しますが、私は久しく忘れ去られてきた霊的真理を、今ようやく夜明けを迎えんとしている新しい時代の主流として改めて説くために遣わされた、高級霊団の通訳にすぎません。要するに私を単なる代弁者と考えて下さい。
地上に霊的真理を普及させようと努力している高級霊の声を、気持ちを、そして真理を、私が代弁していると考えて下さい。 
その霊団を小さく想像してはいけません。それはそれは大きな高級霊の集団が完全なる意志の統一のもとに、一致団結して事に当っているのです。
その霊団がちょうど私がこうして霊媒を使っているように私を使用して、霊的真理の普及に努めているのです。
決して難解な真理を説こうとしているのではありません。いま地上人類に必要なのは神学のような大ゲサで難解で抽象的な哲学ではなく、いずこの宗教でも説かれている至って単純な真理、その昔、霊感を具えた教祖が説いた基本的な真理、すなわち人類は互いに兄弟であり、霊的本質において一体であるという真理を改めて説きに来たのです。
すべての人種に同じ霊、同じ神の分霊が宿っているのです。同じ血が流れているのです。神は人類を一つの家族としておつくりになったのです。そこに差別を設けたのは人間自身であり、私どもがその過りを説きに戻ったということです。

四海同胞、協調、奉仕、寛容───これが人生の基本理念であり、これを忘れた文明からは真の平和は生まれません。協力し合い、慈しみ合い、助け合うこと、持てる者が持たざる者に分けてあげること。こうした倫理は簡単ですが繰り返し繰り返し説かねばなりません。
個人にしろ、国家にしろ、人種にしろ、こうした基本的倫理を実生活で実践するときこそ、神の意図した通りの生活を送っているといえましょう。
そこで私の使命は二つの側面をもつことになります。すなわち破邪と顕正です。まず長いあいだ人間の魂の首を締めつけてきた雑草を抜き取らねばなりません。
教会が、あるいは宗教が、神の名のもとに押しつけてきた、他愛もない、忌わしい、不敬きわまるドグマの類を一掃しなければなりません。なぜなら、それが人間が人間らしく生きることを妨げてきたからです。これが破邪です。
もう一方の顕正は、誰にもわかり、美しくて筋の通った真実の訓えを説くことです。この破邪と顕正は常に手に手をとり合って進まねばなりますまい。それを神への冒涜であると息巻いたり尻込みしたりする御仁に係わりあっているヒマはありません。』 


シルバー・バーチの交霊会の全体のパターンは、最初に 「祈りの言葉」 があり、続いて右に紹介したような 「説教」 があり、そのあとに列席者との間の一問一答があり、そして最後にしめくくりの 「祈り」 があります。
質問は個人的な内容のものから哲学的なものまで種々様々ですが、時にはすでに説教の中で述べたことと重複することもあります。が、シルバー・バーチは煩をいとわず懇切ていねいに説いて聞かせます。
かつては週一回だった交霊会が晩年には月一回になったとはいえ、半世紀以上にわたる交霊会での応答は大変な量にのぼります。その中から各章に関連のあるものを選んで章の終りに紹介しようと思います。


一問一答

🕊
「昨今のスピリチュアリズムの動向をどう見られますか」

シルバー・バーチ「潮にも満ち潮と引き潮があるように、物事には活動の時期と静止の時期とがあるものです。いかなる運動も一気にやってしまうわけにはいきません。成るほど表面的にはスピリチュアリズムはかなりの進歩を遂げ、驚異的な勝利をおさめたように見えますが、まだまだ霊的真理について、まったく無知な人が圧倒的多数を占めております。
いつも言っているように、スピリチュアルズムというのは単なる名称にすぎません。私にとってはそれは大自然の法則、言いかえれば神の摂理を意味します。
私の使命はその知識を広めることによって少しでも無知をなくすることです。その霊的知識の普及に手を貸してくださるものであれば、それが一個人であってもグループであっても、私はその努力に対して賞賛の拍手を贈りたいと思います。
神の計画はきっと成就します。私の得ている啓示によってもそれは間違いありません。地上における霊的真理普及の大事業が始まっております。
時には潮が引いたように活動の目立たない時期がありましょう。そうかと思うとブームのような時期があり、そして再び無関心の時期が来ます。普及に努力するのがイヤになる人もおりましょう。が、こうしたことは、神の計画全体からみればホンの部分的現象にすぎません。
その計画の中でも特に力を入れているのが心霊治療です。世界各地で起きている奇蹟的治癒は計画的なものであって決して偶発的なものではありません。その治癒の根源が霊力にあることに目覚めさせるように霊界から意図的に行っているものです。私は真理の普及について決して悲観的になることはありません。
常に楽観的です。というのは、背後で援助してくれている強大な霊団の存在を知っているからです。私はこれまでの成果に満足しております。地上の無知な人がわれわれの仕事を邪魔し、遅らせ、滞らせることはできても、真理の前進を完全に阻むことは決して出来ません。
ここが大切な点です。遠大なる神の計画の一部だということです。牧師が何と説こうと、医者がどうケチをつけようと、科学者がどう反論しようと、それは好きにさせておくがよろしい。時の進展とともに霊的真理が普及していくのをストップさせる力は、彼らにはないのです」

🕊
「死後の世界でも罪を犯すことがありますか」  

シルバー・バーチ「ありますとも! 死後の世界でもとくに幽界というところは非常に地上と似ています。住民は地上の平凡人とほぼ同じ発達程度の人たちで、決して天使でもなければ悪魔でもありません。
高級すぎもせず、かといって低級すぎもせず、まあ、普通の人間と思えばいいでしょう。判断の誤りや知恵不足で失敗もすれば、拭い切れない恨みや憎しみ、欲望等にとらわれて罪悪を重ねることもあります。要するに未熟であることから過ちを犯すのです」

🕊
「人間一人ひとりに守護霊がついているそうですが・・・」

シルバー・バーチ「母体における受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊がつきます。そしてその人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚すると否とでは大いに違ってきます。
自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。守護霊はきまって一人ですが、その援助に当たる霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめわかっております。が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。
つまり自分はこの男性にしようとか、あの女性の方がよさそうだ、とかいった勝手な注文は許されないのです。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されているのです」

日本語流にいえば「産土神の許可を得て・・・」ということになるのでしょうが、この問題は次の質問にある因果律、日本流に言えば因縁の問題もからみ、さらには再生問題にも係わる重大な問題を含んでおります。最後の「こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されております」というのはその辺も含めた言葉として解釈すべきです。

🕊
「地上で犯す罪は必ず地上生活で報いを受けるのでしょうか」

シルバー・バーチ「そういう場合もあるし、そうでない場合もあります。いわゆる因果律というのは必ずしも地上生活期間内に成就されるとは限りません。しかし、いつかは成就されます。必ず成就されます。原因があれば結果があり、両者を切り離すことは出来ないのです。
しかし、いつ成就されるかという時間の問題になると、それはその原因の性質如何にかかわってきます。すぐに結果の出るものもあれば地上生活中に出ないものもあります。その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。
罪を犯すと、その罪がその人の霊に記録され、それなりの結果を産み、それだけ苦しみます。それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それはいろんな事情が絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にあることだけは確かです」

🕊
「霊界のどこに誰れがいるということがすぐにわかるものでしょうか」

シルバー・バーチ「霊界にはそういうことの得意な者がいるものでして、そういう人には簡単に分かります。大ざっぱに分類すると死後の世界の霊は地上に帰りたがっている者と帰りたがらない者とに分けられます。帰りたがっている霊の場合は、有能な霊媒さえ用意すれば容易に連絡がとれます。
が帰りたがらない霊ですと、どこにいるかは簡単につきとめることが出来ても、地上と連絡をとることは容易ではありません。イヤだというのを無理につれてくるわけにもいかないのです」

俗に拝み屋という、霊魂との取り次ぎのような商売をしている人がいます。頼めばどんな先祖霊でも呼び出してくれるようですが、右のシルバー・バーチの答えを読めば、それが必ずしも信のおけるものでないことがわかります。
シルバー・バーチは霊界にはスピリットの所在を突き止めるのが得意な霊がいると言っておりますが、実はそれとは別に、地上の拝み屋のような低級な霊能者のところをドサ回りのようなことをしながら、声色を使ったりクセをまねたりして、信心深い人間を騙しては面白がっているタチの悪い霊団がいることも忘れてはなりません。
そんな霊にからかわれないためにも、正しい心霊知識を少しでも多く身につけたいものです。











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