愛は死を超えて
新たなる啓示
五章 愛は死を超えて
「あなたは、長年にわたって、あなた自身を通して届けられた霊的真理、生命の原理、およびそれらが意味するところのものに忠実にしたがい、冷静さを失うことなく、人生の最大の危機に立派に対処なさいました」
ある日の交霊会で、奥さんに先立たれたばかりの霊媒に対して、シルバーバーチはこう述べ、さらに次のように勇気付けの言葉を続けた。
「地上に生を受けた者は、いつかは死ななくてはなりません。永遠に地上で生き続けることはできないというのが大自然の摂理なのです。
ですから、地上生活の道具としての用事を終えた物的身体が、その活力の源であった霊的身体と霊そのものから切り離されるのは、絶対に避けられないことです。かくして霊は、永遠の巡礼の旅の一部として、地上での一定期間を経ると、次の界へと進んでまいります。
もちろん、その時期が到来すると皆さんは悲しみます。それは、大半の地上の人間は霊的視覚が閉ざされているために、目の前に横たわる冷たい肉体、ただの殻に過ぎないものだけが見えて、その中身である崇高な実在を見ることが出来ないからです。
幸いにしてあなたにはそれが出来ます。霊的な目が開いているからです。愛する奥さんは、物質的には地上から消えても、霊的には相変わらずあなたと共にいることを、あなたはしっかりと自覚していらっしゃいます。
死は、愛し合う者を引き裂くことはできません。霊的に一体となっている者は、いずこにいようと、すなわち家庭の中であろうと、外出中であろうと、仕事中であろうと、奥さんはいつもあなたとともにいて、地上時代と同様に仕事を手伝っておられます。奥さんにとって地上人生は、あなたと共に過ごした人生がすべてでした。
奥さんの方が先に他界したことをあなたは今、〝これでよかった〟と得心しておられますね。あなたの方が強くたくましく、死後に生じるさまざまな問題に対応することは、奥さんでは無理だったことを理解しておられます。その奥さんが今ここに来ておられることは私から申し上げるまでもないでしょう。
その肉眼、その肉耳で確認できなくても、あなた自身の心臓の鼓動と同じほど身近かな存在となっておられます。
どうかこのたびのことで挫けることなく、死によって霊が消えてなくなるものではないという、この掛けがいのない知識を広める仕事に邁進してください。生命と愛は、死を超えて存在し続けるものです。
神性をおびた霊の属性だからです。ご自宅の静けさの中にも奥さんの存在を感じ取られるはずです。何か決断を迫られることがあれば、奥さんに念じてごらんなさい。きっと正しい方向を教えられ、万事がうまく行くはずです。
これまでたどってこられた地上生活が、物質界に生まれ出た時から霊団による指導を受けていたことは、私から申し上げるまでもないでしょう。その霊団があなたを見捨てることは絶対にありません。むしろ指導を強化されていくことでしょう。埋め合わせの法則も働きます。霊的な豊かさが、いかなる物的欠乏も補ってくれます。
大胆不敵の精神を失ってはいけません。相手をする人に、なるほどこの人は神の使節だと思わせるだけの、平静でしかも堂々とした態度で臨んでください」
その夜はベテランの霊能者であるパーシー・ウィルソン氏が奥さんと共に出席していた。シルバーバーチの「お元気ですか?」の質問に
「お蔭さまで元気は元気ですが、いささかバテぎみです。仕事が多過ぎて・・・・・・でも、仕事が少なすぎるよりはましかも知れません」と答えた。するとシルバーバーチが次のように語った。
霊媒としての自覚を
この道に長く携わっておられる方でも、時として自分が物的身体を使って仕事をしていることを忘れるものです。人間の身体はあくまでも機械です。とても複雑で見事に出来あがってはいますが、あくまでも機械です。機械ですから、休息を与えないと、擦り減っていきます。
あなたの使命はまだ終わっておりません。まだまだ、これから織っていかねばならない糸が残っております。この世に残すべき足跡、あなたのこの地上生活に計り知れない意義をもたらした霊的真理を何らかの形で残していく仕事が、まだ残っています。
あなたは本当に恵まれた方です。背後霊が常に身近かにいてくれていることを自覚できる方は、たとえその光輝までは見えなくても、霊力の強さと恵みと美しさがいかに貴重なものであるかがお分かりです。無限という言葉通り、限りというものがありません。それを私は大霊と呼んでいます。
ゴッドと呼ぶ人もいます。愛と知識と叡知とインスピレーションの大始源です。その一部がつねにあなた方のまわりに存在します。
そうなると当然、それを利用したり広めたりする上において、そこに不純な思惑がからんではいけないということになります。純粋で、最高で、至聖なる形で扱われねばならないのです。
そうとは知らずに行なっている人はまだしも、問題は、中途半端な理解で終わっている人たちです。根本原理をよく理解せずに、自己顕示欲に動かされ、混乱と迷惑のタネをまき散らします。
わたしたち霊団側としては、霊的真理を普及することと霊力の威力を発揮することにしか関心はありません。霊力というものが、条件が整いさえすればいかに崇高で驚異的なことを成就せしめるかは、ここで改めて申し上げるまでもないことでしょう。
奇跡的な治癒をもたらし、打ちひしがれた心を奮い立たせ、信じられないほど見事に難問を解決します。
難解な用語を並べたてた説教や論議はどうでもよろしい。その分野のことは、感性を欠いた神学者にお任せしましょう。神学者たちが宗教や霊的実在と何の関係もない事柄に長年にわたって論議を重ねることができるのは、感性というものを持ち合わせていないからです。
ここに集まっている私たちは、宇宙の最大の力、神性を帯びた霊力の使者であり道具です。受け入れる用意のできた者なら誰でも手に入れることのできる、最高の霊的恩寵を送り届ける通路(チャンネル)です。
霊の威力はすでに証明済みです。それが意味する深遠な意義は、直感的洞察力を持つ者には明らかです。それが理解できた人には自由がもたらされます。霊的な束縛からの解放です。地上人類の多くが、自らこしらえた迷路にはまり込んで、精神的自由を失っているのです。
そういう人たちにとって、スピリチュアリズムの真理は、大霊が意図された霊的存在としての本当の生き方を体得する道への指標です。本来人間は、内在する気高い能力を発揮し、自分より恵まれていない人たちのために役立つことをし、
和平をもたらすための基盤をこしらえる手段を教え、神性を宿した霊的存在として恥辱ともいうべき環境のもとで暮らしている人々に、本来の生き方を教えてあげることができるのです。
私たちが働きかけているのは、そうした目的の成就のための道具となって、いつでもどこでも人に役立つことのできる人々です。それを邪魔だてする人は、いつかは辛い思いをさせられることになります。
一度真理を知った人の場合は尚更のことです。おそかれ早かれ、そういう人は神の計画から排除されます。神の計画は何としても推進しなければならないものだからです。
今さら申し上げる必要はないと思いますが、霊力が地球全体を包み込み、世界各地に霊的灯台が築かれて、人生に疲れ迷っている旅人に進むべき道を照らし出してあげるようになることが、大霊の計画の中に組み込まれているのです。
あなた方、そして世界中で同じ霊的真理に目覚めている人々がこの地上に生まれて来たそもそもの目的は、そこにあるのです。すでにこの世を去った偉大な先駆者たちも、今、こちらの世界から同じ目的のために献身しているのです。
残念なのは、せっかく目も眩むほどの真理の輝きに心を奪われながら、時とともにその霊的ビジョンが薄れて行く人が多いことです。しかし、私たちは、いったん引き受けた大事業を中途で止めるわけにはいかないのです。霊的な影響力と霊的な知識を地上に広めることです。
そして、いかなる機関も、いかなる地位の人も、そしてその人たちが束になってそれを阻止しようとしても、それに負けないだけの態勢を築かねばなりません。
いささか抽象的な説教のようなことを申しましたが、実際的には、あなた方はすでにずいぶん大きな貢献をなさっておられます。その成果がご自分で推し量れないだけのことです。たった一人の迷える魂に道を教えてあげるだけで、価値ある貢献をなさったことになるのです。
死別の悲しみに暮れる人の目から涙を拭ってあげることができたら、あるいはまた、不治の病に苦しむ人をたった一人でも救ってあげることができたら、それだけで十分にあなたの存在価値があったことになるのです」
ここで少し間をおいてから、パーシー・ウィルソン氏に向かって
「何か私に聞いてみたいことでもおありですか」
と尋ねた。するとウィルソン氏が答える。
───今のお話を聞いて、私から何を申し上げることがありましょう。霊界から届けられるお言葉ほど私にとって慰めと感動を与えてくれるものはありません。慰めを超えて、意気軒高と申しますか、〝よしやるぞ!〟といった決意が湧いてまいります。
「そうでしょうとも。そういう決意を抱くように導くことが私達の任務なのです。いったん覚悟を決めて取り組んでいる仕事です。右か左かと迷っている時ではありません。まっしぐらに進むべきです。大霊から選任され、同時に、自らお引き受けした仕事です。私も同様です。最後までやり遂げなければならないのです」
〝人のため〟の真の意味
───かなり前の話ですが、霊界の友人から〝人のため〟の意味を常識的な解釈とは逆に考えないといけないと言われて、はっと目が覚めました。人のために役立つことをしている時は、その相手の人からそういうチャンスを与えてもらっているのだ、と考えるようになりました。
「まさにその通りですよ。その人のおかげで自分の霊性を発揮することができているのです。自己達成とは霊性の開発のことです。そしてその開発は人のために役立つことをしてこそ成就されるのです。
そこに物理的法則と霊的法則の違いがあります。霊的な富は、他人に分け与えるほど、ますます豊かになるのです。進化・成長・進歩といったものは、自分を忘れて他人のために役立つことをすることから得られるのです。もっとも、相手にそれを受け入れる用意がないと無駄になりますが・・・・・・
たとえば、こんな挑発的な態度を取る人をかまってはいけません───〝できるものならこの私を得心させてみなさい〟と。得心するのは自分自身です。自分で自分を得心させるのです。
大霊は、わが子の一人一人が地上において一度は自我に目覚めるための知識とめぐり合うように配慮してくださっております。摂理がそういう具合に出来あがっているのです。例外はありません。
無限の叡知によって、この宇宙にあって何一つ、誰一人として見落とされることのないようにしてくださっているのです。顕幽にまたがる全大宇宙には、自然の摂理による調和機構というものがあり、それがすべてを統率しているのです。
地上世界の法律に幾分それに似たところはあります。ただ、地上の法律はいろいろな思惑や無知が絡んで、法律そのものに問題があります。すべてを完ぺきに取りしきる法律を編み出すことは、人間には不可能です。そこへ行くと大霊の摂理には削除も変更もありません。
例外というものもありません。常に同じです。永遠の過去からずっと同じであり、これからも未来永劫にわたって変わることはありません。
あなた方の世界では〝いったい世の中はどうなってるんだ!〟と言いたくなるような事情・困難・挫折が生じます。そして気が滅入り、こう愚痴をこぼしたくなります───〝これはあんまりだ! だれがこんな目に合わせるんだ?〟と。
その〝だれ〟かは、すべてをご存知なのです。すべてが計画の中に組み込まれているのです。私たちは宇宙の全機構の経綸をあずかる〝無限にして完全なる存在〟にすべてをゆだねます。人間はしくじることがありますが、大霊がしくじることは絶対にありません。
もしあなたが疲れ果て、うんざりし、やる気を失っているのに、人がそういうあなたに何の理解も示さず勝手な要求をする時は───そういう人間がよくいるものです───表面はどうであれ、神の摂理はきちんと働き、計画は必ずや成就されるとの信念を忘れないことです。
人間の集まるところには必ずトラブルが生じます。一人一人が霊的に異なった発達段階にありますから、同じ問題を必ずしも同じようには見ていません。それは致し方のないことです。
幸いにして自分の方が進化の階梯の高い位置にいる人は、自分より低い位置にいる人に対して同情と、寛容と、理解のある態度で臨むべきです。いかに高い位置に到達したとしても、それよりさらに高い位置にいる人がいることを忘れてはいけません。
霊の道具として働いておられる皆さん方に私から申し上げたいのは、人間としての最善を尽くしていただきたい───それ以下は困りますが、それ以上の要求はしないということです。体力も気力も限界と思われるところまで来たら、そこで手を引いてください。それから先のことは私たちが引き受けます。
独裁者のような態度は取りません。強制もしません。あなた方が他人のために一生けんめいに努力なさるように、私たちも、能力の許すかぎりの努力をいたします。そうすることによって霊の力をより大きく、より広く、地上に届けることができるのです」
出口のないトンネルはない
その夜の出席者の中に特別に許された女性がいた。その女性は十年ばかり前に自殺も考えたほどの苦境に陥った時、ある霊能者の指導で立ち直った人で、その霊能者ともども出席したのだった。その女性に向かってシルバーバーチが言う。
「本日はようこそお出でくださいました。あなたもずいぶん長いこと苦難と悲哀を味わってこられましたね。でも、もうほとんど暗いトンネルから抜け出ておられますよ。出口のないトンネルはありませんから、暗い時期に入っても心配なさらないことです。ずいぶん霊能者の方のお世話になりましたね?」
───それはもう、言葉では言い尽くせないほどです。もしあの方との出会いがなかったら、今夜こうしてこの席にいることもなかったはずです。十一年前に霊界に行っていたでしょう。
シルバーバーチはその事情をよく知っていて、その霊能者の名前をあげて
「この方は本当に頼りになる方ですね」
と言うと、その女性が言う───
───少しご無理をなさっているのではと心配なのですが・・・・・・
「じゃあ、少し休んでいただかなくてはなりませんね。それ以外に方法はありません。やんちゃ坊主がいよいよ手に負えなくなったら、手段はただ一つ───ベッドにくくりつけることです。
実は霊界から指導している私たちも、それと似た手段を取るごとがあるのです。なかなかよく効きますよ。疲労困ぱいした時は、それをむしろ好機とみて、床に伏して身体を休めることです。霊的自我が本来の生命力を取り戻すチャンスです。
今のあなたは立派な背後霊に守られていますよ。もう何一つ案ずることはありません。あの人生最大の危機に直面し、すべてが真っ暗闇で、ひとすじの光さえ見えなかった時に、悟りへの道が示されました。それ以来、道は広がる一方ですし、あなたは堅実にその道をたどって来られました。
これからも迷うことなく突き進みなさい。光をさえぎる大きな蔭はもう訪れないでしょう。小さい蔭はあるでしょう。が、時おり訪れる一過性のものでしかありません。すぐに消え去ります。蔭があるからこそ光の有り難さも分かるのです」
───私が恩恵を受けたこの霊的真理をある方に教えてあげようと、ここ一カ月半ばかり努力してみたのですが、だめでした。
「せっかくのチャンスを目の前にしながら、それを我がものとできない人が多いのは悲しいことです。しょせん馬を水辺まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないという諺どおりです。渇いた魂をうるおすとともに本当の自由をもたらしてくれる、この何ものにも代えがたい真理を拒絶するようでは、もはやあなたにも為すすべはないでしょう」
───死んで霊界へ行くまで放っておくしかないのでしょうか。
「間違った考えを持ったまま、こちらへやってくる者が多いのです。が、いつかは修正せざるを得ません。魂に理解力がそなわれば、真理の光が見えるようになります。失望してはいけません。
説き続けるのです。あなたは大いなる愛の力に囲まれています。片時も離れることなく付き添っている霊の親族(類魂)から届けられているものです。あなたはその親族の最後の末裔なのです。
今あなたが手にされている霊的な喜びは、あなたのこれまでの苦労が実を結んだのです。霊的な帳簿は実に細かく記入されており、収支はきちんと精算されます。時には霊的に過度の引き出しを見逃すこともありますが、後で必ず払い戻さないといけません」
原子エネルギーの問題
スイスから参加した二人のゲスト(夫妻)を交えたある日の交霊会で、原子力が話題となった。
まず奥さんから質問があった。
───放射能の危険から身を守るにはどうすればよいのでしょうか。そもそも原子の秘密は人間が発見することになっていたのでしょうか。
「地上生活のそもそもの目的は霊的・精神的・物的の三つの側面での体験を積むことです。この地球という天体上で得られるかぎりの、幅広い体験を積むために誕生しているのです。
したがって、この地上界に秘められている知識───これは事実上無限です───は、人間にそれだけの能力がそなわれば、当然、自由にその能力を開発して発見してよいに決まってます。
人間が自然界の秘密を探ろうと努力することは結構なことです。問題はその動機です。発見した知識を全人類のために役立てるためでなくてはなりません。敵軍や自然界を破壊するためであってはなりません。
人間には自由意志があります。根元的には神性を有し、その当然の資格として、自分で選択する自由が具わっています。ですから、自由意志を行使して、何の目的のために知識を使うかの判断をすればよいわけです。
人類が精神的ならびに霊的に進化すれば、その自然の結果として、人生の目的が自分以外のもの───同胞だけでなく同じ地上に生息する動物も含めて───にとって地上がより住みよい所となるようにすることであることを悟るものです。
あらゆる発見、あらゆる発明、あらゆる新しい知識がその観点からの判定を受けなければいけません。すなわち、それが結果的に人類および動物の進化を促進するものであり、妨げるものでないとの判断がなくてはなりません。
問題は、人類の知的能力が霊的発達を追い越すことがあることです。それがいろいろと厄介な問題を生ぜしめます。霊的に未熟な段階で自然界の大きな秘密を知ってしまうことがあります。今おっしゃった原子エネルギーの発見がそれでした。
ですが、人間に為しうることには、自然の摂理によって、おのずから限界というものがあります。地球という天体を、そこに住むものもろともに破壊してしまうことはできません。
困った事態を惹き起すことはできるでしょうが、地上の生命の全てを根絶やしにすることはできません。思わぬ秘密を発見しては試行錯誤を重ねながら、正しい使用方法を学んでいくしかないのです。
原子エネルギーも、使い方一つで、神性を持つ人間としてあるまじき悲惨な環境のもとで生きている無数の困窮者に、大きな恵みをもたらすことができますし、現に、すでに恵みを与えています。
あなたが最初におっしゃった放射能の危険性のことですが、私は、あなたが心配なさるほど深刻なものになるとは考えません。その影響を中和する対抗措置を発明するのは、そう難しいことではないでしょう」
霊格の高い者ほど困難な人生を選ぶ
───霊界から地上へ誕生するに際しては、地上で果たさねばならない仕事をあらかじめ見せられるのでしょうか。
「一般的にはそうです。その人の霊的発達程度に応じて、どういうことをするかの選択が許されます。見せられるといっても、細かい点までいちいち見せられるわけではありません。
地上でも、たとえば溺れて危うく死にかかった人が、その危機一髪の瞬間に、それまでの過去の生活を全部見た、という体験をすることがありますが、事実そういうことは有り得ることでして、地上への誕生前に地上生活をあらかじめ見せられるのも、そういう形でのことです。
そういう生活がその人の次の進化の階梯にとって必要であるとの認識のもとに選択するのです。霊的に進化した人ほど困難な仕事を選ぶものです。
それは当然ではないでしょうか。高度な叡知を身につけた人が安楽な仕事を選ぶはずはありません。偉大な人物が苦難の人生を送るのは、その辺に理由があります。それはその人が覚悟していた挑戦です。
それを克服することによって、それまで未開発だった資質が開拓され、霊性が一段と発現されるのです。しかもそれは、死後霊界において為さねばならない、より大きい仕事のための準備でもあるのです」
───それは自分で選ぶのですか、それとも授けられるのですか。
「どちらの場合もあります。こういうことが出来るという可能性と、これだけのことはしなくてはならないという責務とが指摘されます。それは、ある一定レベルの発達段階に達した人の場合です。
その場合でも選択の自由は許されます。もっとも、選択の余地が与えられない場合もあります。どうしてもそうならざるを得ないカルマが廻ってきた場合です」
───そちらから地上界へ誕生するのは一種の〝死〟とみてよいのでしょうか。
「結構です、一種の死です。あなた方が死と呼んでいるのは霊的に見れば霊界への誕生であり、あなた方が誕生と呼んでいるのは、霊的には死と同じです。
何度も申し上げていることですが、仲間が地上界へ行ってしまうのを見て、霊界では大勢の者が涙を流しているのです。反対に、地上を去ってこちらへ来るのをあなた方は悲しんでいる時、私たちは〝ようこそ〟と言ってよろこんで迎えているのです。すべては全体としての視野の捉え方の問題です」
地上への降誕の目的
───われわれは〝神の分霊〟だそうですが、その至尊至高の大霊へ向けて進化して行くのが目的であるならば、なぜ〝分かれた〟のでしょうか。つまり、もともと一つであったものがなぜ分離して、再び大霊に帰一することを目的にしてこの地上界に生まれてくるのでしょうか。
「そのご質問は、この私にではなく大霊に聞いていただきたいですね」と冗談ぽく言ってから、改まった口調でこう述べた。
「なかなかいい質問なのですが、残念ながらその疑問は、根本的な誤解ないし誤認から生じております。あなたが大霊と〝一体であった〟というとき、それは大霊という唯一絶対の始源から出ているという意味であって、同じ意味で、全ての生命、全ての個的存在、生きとし生けるものすべてが、本質において一つであると言えます。
〝あなた〟という個的存在は、最初から、つまり大霊と一体であった時から今の〝あなた〟だったわけではありません。表現の媒体を得て初めて〝あなた〟という個性を持った存在となったのです。
その目的は内部の神性を顕現させるためです。内部に宿る神性は完ぺきです。が、それは種子が土とか水といった養分を得て発芽し、生長し、花を咲かせるように、顕現という活動を経て初めて、その美しさ、その輝きを外部へ発揮することになるのです。
地上的な形態での存在の目的もそこにあります。すなわち物的身体に植え付けられた神性の種子が発芽と生長と成熟の過程を体験するためです。その地上生活特有の体験によって、死後に訪れる、次の段階の生活に必要な資質と能力を身につけるのです」
別のメンバー ───今の質問にはもう一つの意味も含まれていると思うのです。つまり、そうした個的生命も最後は大霊の中に吸収され没入してしまうのかということです。
「それはその通りです。が、いわゆるニルバーナ(涅槃)に入るというのとは違います。個的存在が消えてなくなる時は永久に来ません。反対に、完ぺきに近づくほど、ますます個性が顕著になっていきます」
───小川が大海に流れ込むようなものでしょうか。
「それは違います。小川が大海へ流れ込めば、その小川は消滅してしまいます。あなたという存在は、どこまでいっても個としての存在を失うことはありません。パーソナリティ(地上時代の性格)は変わります。特徴や性癖も無くなります。が、個的存在としての顕現は永遠に続きます。
成長と発達に限界というものはあり得ません。個性が発達するほど、それだけ大霊との調和が進みます。霊性が発揮されるほど、その霊的始原に近づくからです」
続いて、生まれた時から視力に障害のある女性からの質問(投書)がいくつか読み上げられた。
霊界との交信には条件が必要
第一の質問───もしも本当に死後の世界があり、そして創造主が愛の神であるならば、他界した愛する者たちが五感で確認できる形で戻ってきて、私たちに死後存続の事実を確信させてくれるようになっていてもいいはずが、現実はそうなっていないのはなぜでしょうか。
「いいえ、ちゃんとそうなっているのです。ただ、そのためには条件が必要なのです。今夜のゲストのご夫妻も私との対話をするために来ておられますが、なぜここまで来られたかと言えば、ここにはこのモーリス・バーバネルと言う霊媒がいて、私がその発声器官を使用できるからです。
お二人の自宅では私との対話はできません。この霊媒がいないからです。このように、地上界と霊界との交信には、それを可能にする条件というものがあるのです。
投書をされた女性が私に質問をするには、その質問を手紙という形で書いて郵送し、それがこの場で読み上げられるという過程を経なければなりませんでした。
その質問に私がこの霊媒を通して答え、その答えが記録されてご質問者のもとへ郵送される───地上での交信にもこれだけの過程が必要です。地上界と霊界との交信にはさらに次元の異なる条件が必要なのです。
電話で話すという、地上の人間どうしの交信の手段が確立されるようになるまでの歴史をたどってみられるとよろしい。それはそれは大変でした。それをみても、次元の異なる地上界と霊界との間の交信が簡単にはいかないことが想像できるでしょう。
それなりの必要条件というものが満たされないことには、交信できないのです。他界した愛する人が何も通信してこないからといって、それを大霊に非があるかに思われてはいけません。それなりの手段を講じないといけないのです」
直観的判断力
第二の質問───愛する人(霊)がそばにいることを、一瞬ですが、ありありと感じることがあるという話を聞きますが、それがただの想像や気のせいではなく事実その人であるという確認はどうすれば得られるのでしょうか。
「霊的資質の一つである直観的洞察力を磨くしか方法はありません。洞察力は霊が自己を表現する手段でもあります。それが精神に刻み込まれると、こんどは脳に伝えられ、そこで初めて認識されます。こうした過程で表現と認識が行われているのです。
霊性が発達するにつれて、霊界のバイブレーションをキャッチすることが多くなります。それまでは、ほんの瞬間的な印象をキャッチするだけです。
それがどの程度の真実味があるかは、本人の直観的判断力に待つほかはありません。気のせいだと思うのであれば、そう思えばよろしい。その人はそこまでの人だということです。
精神的に、そして霊的に、地上の人間の受容力と直観力が開発されれば、霊的顕現が容易になり、同時にその顕現の度合いがはっきりしてきて〝確実〟の段階に至ります。前にも申し上げたことですが、霊性の開発には近道はありません。長く、そして根気のいる過程です」
第三の質問───霊的知識の真実性を判断する規準は何でしょうか。自分自身の霊的才覚が決めるものでしょうか。
「真実性を理解する判断力を各自が発達させるしかありません。それは一気呵成にできるものではありません。霊力をグラスに注いでもらって、それを飲むというわけにはまいりません。それを身につける努力をしなくてはなりません。他人が代りにやってあげるわけにもまいりません。
あなた自身が一人で開拓しなくてはなりません。援助してもらうことはできますが、自分の意志で求め、自分の意志で探り、自分の意志で成就するのです」
サークルのメンバー ───いつも同じ答えに戻ってくるようですね。つまり、何事につけても、当人の霊的才覚の発達がカギを握っているということです。
「そうですとも。その通りです。摂理は實壁です。摂理の働きが狂うということは絶対にありません。必ず摂理どおりになるのです。償いも完壁ですし、報いも完璧です。公正も完璧ですし、行きわたらないところは絶対にありませんし、あらゆる面で完壁です。完全なる叡智によって編み出されたものだからです。
あなたが手にするものは、あなたの努力に相当するものだけです。あなたの霊性の進化は、それ相当の努力をした分だけです。今あなたが置かれているレベルは、これまでに努力してきた、その成果です。それより高くは上がれませんし、またそれより低いところへ下りたいとも思わないでしょう」
明日を思い煩うことなく
そう述べてから、こんどはゲストのスイス人夫妻の方を向いた───
「お二人は本当に恵まれた方です。これまでに受けられた霊的な導きについて、きちんと理解しておられますし、こうしてお二人が結ばれるにいたった奇しき縁の糸も、明確に認識しておられます。さらには、これからお二人に課せられている仕事も分かっておられます。
残念ながらスイスは唯物的な傾向の強い国で、霊的なものよりも物質的なものに関心が偏っています。物的な財産の多い者が成功者と見なされます。拝金主義が横行しています。とても美しい国で、国際的にも大きく貢献できるものを持っているだけに、そのことがとても残念に思われます。
あなた方の手が差しのべられる相手は、あまり多くはいません。大半の人が唯物的な観念に浸っています。霊的な知識に目覚めるのは、困難に打ちひしがれ、危機・病気・死別といった〝不幸〟によって魂が絶体絶命の窮地に追いつめられた時でしかありません。
でも、あなた方のもとに案内されてくる人はいます。チャンスと見たら、積極的に説くことです。
といって、やみくもに知識を押しつけるのは感心しません。受け入れる用意があるとみた人に説くことです。議論しても無駄です。無知と叡知とが相撲を取っても始まりません。
勝ち敗けの問題ではないからです。目的は相手に自分の霊性に気づかせ、ただの肉の塊ではなく、死後にも生き続ける霊的な宝が隠されていることを教えてあげることです。
そういう人が必ずお二人のもとを訪れます。そのためにお二人は結ばれたのです。それが、お二人に課せられた仕事です。これまで色々と紆余曲折を経ながら、また様々な困難を克服しながらも、今こうしてこの仕事に携わることができているように、今後も背後霊団の力でお二人の為すべき仕事が用意されてまいります。
ですから、明日のことを思う煩うことなく〝わが道〟を歩まれることです。お二人は守られています。導かれています。大いなる愛の力がお二人を包んでおります。
地上時代の血縁でつながっている霊ばかりではありません。もっと強力な絆───お二人を通して人類のために役立ちたいとの一念で結ばれている類魂も参加しております。
お二人は何ものにも代えがたい光栄に浴しておられます。本当の意味で人のために役立つことをなさっているからです。霊的真理を説き聞かせることは、神の愛を注ぐことです。その愛が魂の琴線にふれると、まず精神の視野が開けて人生観が変わり、あなた方が説く霊的知識の掛けがえのない価値に気づくようになります。
では最後に、皆さんとともに大霊への感謝の祈りを捧げましょう。私たちはその大霊の愛と叡知の使者なのです。私たちの行為の一つ一つによって、それが大霊へ近づかんとする真摯な願いの表現であることを示し、大霊の心をわが心として、宇宙の営みと一体となり、愛のマントに包まれていることを自覚できますように」
シルバーバーチ
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