三つの出張講演から
シルバーバーチの霊訓 九
十一章 三つの出張講演から
≪このたびこうして私をお呼びいただき、ささやかながら私がたずさえて来た知識を皆さんと分け合うことになったことを光栄に思っております。この新たな体験によって私が何らかのお役に立てば、こうして皆さんの前にお邪魔した甲斐があったことになります。
皆さん方はすでに霊的実在についての知識をお持ちの方ばかりです。したがって私から改めてその重大性、とくに今日の地上世界における不可欠性について強調する必要はないと思います≫
シルバーバーチ
永年ハンネン・スワッハ―・ホームサークルだけを拠点として語り続けてきたシルバーバーチが、最近になって三つのスピリチュアリストの団体からの招待に応じて、それぞれの本拠地で講演と一問一答を行った。
一つはコペンハーゲンで開催された国際スピリチュアリスト連盟 International Spiritualist Federation の総会において、二つ目は英国心霊治療家連盟 National Federation of Spiritual Healers において、三つ目は大英スピリチュアリスト協会 Spiritualist Association of Great Britain において、それぞれの評議会員を前にして行われた。
◎ I・S・F (国際スピリチュアリスト連盟) での講演と一問一答
「私たち霊界側から言わせていただければ、こうした機会をもつことは皆さんの意識の焦点と視野を正しく修正する上でまことに結構なことだと思います。この霊的大事業にたずさわっておられる皆さん方も、ややもすると日常生活の煩雑さや揉めごとに巻き込まれて、こうして地上でいっしょに仕事をしているわれわれを鼓舞している雄大な理想像(ビジョン)の無垢の美しさを、つい忘れがちだからです。
物質の世界に閉じ込められ、肉体をもつが故の数々の義務を背負っておられる皆さんにとって、自分が本来は霊的存在であることを忘れずにいることは難しいことでしょう。が、皆さんの本性の中を神の力が流れているのです。
また皆さんの中の大勢の方が霊的能力を授かっておられます。それは自分より恵まれていない同胞のために使用することができます。
皆さん方が進まれる道は決して容易ではありません。それは皆さんが、潜在的な霊的資質を開発するチャンスをみずから欲するだけの器量を具えていらっしゃるからです。神の使節に気楽な人生は有り得ません。進化と向上を求める者、地上の人間として到達しうるかぎりの高級界に波長を合わせんとする者にとって、安易な道は許されません。
近道など有りません。酷しい試練と絶え間ない危険との遭遇を覚悟し、今たずさわっている仕事、それは実は───これがいつも議論のタネになるのですが───皆さんが地上へやってくる前にみずから志願されたものなのですが、それをあくまでも成就させんとする決意を要請されます。それは皆さんがみずから選択された道なのです。
霊的闘争における勝利はそう簡単には得られません。霊的なものが支配権を握るに至る過程は長くて過酷なものです。が、一度手中にすれば、それは永遠です。決して失われることはありません。
霊の褒章は決して傷つきません。決してサビつきません。決して腐食しません。永遠に自分のものとなります。それは皆さんが、皆さんの一人一人が、みずからの努力で勝ち取らねばならない、永遠の財産なのです。
皆さんとともに仕事をしている私たち霊界の者が、いくら皆さんを愛し、窮地にあって守り導き、道を教えてあげようと望んでも、所詮は皆さん自身の道なのです。その道を進むのはあなた方自身です。そして一つの困難を克服するごとにあなた方自身が霊性を強化し、霊的な仕事にたずさわる者として、より大きな資格を身につけて行かれるのです。
ですから、困難の挑戦を大いに歓迎することです。困難を避けたいと思うような者は神の仕事には無用です。闘いの真っ只中、しかも物質万能思想との闘いという最大の闘争において、あまりの激しさに将軍や指揮官が敵前逃亡をするようなことがあっては断じてなりません。耐え忍び、みずから志願したこの神聖なる仕事を成就すべく、鍛えられ、しごかれ、また鍛えられ、しごかれなければならないのです。
われわれに対抗する勢力は、地上においても霊界においても、実に強力です。しかし、いかに強力といっても、神の意志をしのぐほどの力はありません。永年にわたって地上での仕事にたずさわり、幸にして地上での神の計画の一部を知ることを得た私が絶対的確信をもって申し上げますが、霊力はすでに地上に根づいております。
すでに地上生活に浸透しているその霊力を駆逐する力は、物的世界に帰属する勢力、すなわち宗教界の有力者にも、新聞にも、医師にも、あるいはそうした勢力がいかなる形で結集したものにもありません。
すぐれた霊の道具(霊能者・霊媒)の出現によって世界各地に霊力の前進基地がすでに設けられ、今その地固めが行われているところです。そこを拠点として、神の子等が一体自分はどこの誰なのか、何者なのか、なぜこの地球上に存在するのか、その存在の目的を成就するには何を為すべきかを、みずから理解して行くことになるのです。
皆さんはこのたび海山を越えて遠く隔てた国々から集まってこられましたが、皆さんを結集させた力は、ふだん他人のための仕事においてわれわれを鼓舞している力と同じものです。私たちは自分のことは何も欲していません。
名誉も求めません。ひたすらお役に立ちたいと望み、神の子等が、霊と精神と身体とが調和的に機能した時に得られる充足感、豊かさ、美しさ、生きる喜び、こうしたものを味わえるようになる生き方をお教えしようとしているのです。
あなた方は自分を役立てる掛けがえのない好機を手にしていらっしゃいます。そして他人のために自分を役立てることほど偉大な宗教的行為はないのです。
それは神の愛の働きにほかなりません。このたびこのデンマークの地に世界のスピリチュアリストの代表が総結集し、神の計画の推進のための会議をもつことになったのも、その愛、その叡智、その霊力の働きによるのです。
ですから、時として闘いが酷しく、長く、ともすると投げやりな気持ちになりそうなことがあっても、決して挫けてはなりません。もしも挫けそうになった時はいったん物質界から身を引くことです。気持ちの流れを止め、精神を統一して、内部の霊的バッテリーが充電される状態にするのです。一新された生命力、一新された元気、そして一新された目的意識をみなぎらせるのです。かくして元気百倍して物的世界に戻り、仕事を続けるのです。
本日はこうしたメッセージをお届けする機会をこの私にお与えくださったことを感謝いたします。これは私個人の考えではありません。私をこの地上に派遣した霊団からのメッセージを私が取り次いだまでです。私と同じように他の多くの霊が地上へ派遣されており、皆さんとの協調関係を通じて、いかにわれわれが神の計画において一体であるかを理解していただくように配慮してくださっているのです」
🕊
───われわれの運動も内部に大きな問題を抱えております。本来なら団結すべきところでそれがうまく行かず、ために強力な態勢が整いません。何とかそれを改善するよい方法はないかというのが私の大きな関心事なのですが、何かよいコメントをいただけますでしょうか。
「団結というのはそう簡単には成就できないものです。命令によって強制できる性質のものではありません。理解力の発達とともに徐々に達成していくほかはありません。問題は、人類の一人一人が知的にも道徳的にも霊的にも異なった発達段階にあることです。一つの共通した尺度というものがないのです。
あなた方の仕事においてさえも、各自の霊的進化のレベルが異なるという、その単純な事実に由来する衝突がたくさんあります。
霊的覚醒というのは霊性の進化とともに深まるものです。となると、あなたが高級霊との一体関係を確立しても、あなたと同じ発達段階に到達していない者がそれに参加することができないのは明白なことです。したがってあなたはあなたとして活用しうるかぎりの手段を駆使して最大限の成果をあげることに努力するしかないわけです。
この問題は私たち霊界の者にとっても無縁の問題ではありません。私たちも常に同じ問題に直面しているからです。私たちは地上の人間を道具として仕事をするのですが、その中には霊界側として期待している水準にまで達しない者がいます。しかし、それはそれとして最善を尽くすしかないのです。
そうした事情のもとでも、光明が次第に広がりつつあることに皆さんもいずれ気づかれるはずです。大切なことは、このたびのように伝統も環境も異なる世界各地から、言語も考えも異なる代表が一堂に会する機会をもつことです。その場で、たとえば他の国での成果を知って、それを後れている国の人がよい刺激とすることができます。
案ずることはありません。あなた方は自分なりの最善を尽くせばよいのです。もうこれ以上はできないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、あとは私たちに任せる気持におなりなさい。人間は自分にできるかぎりの努力をしていればよいのです。それ以上のことは要求しません」
🕊
───でも、何かよい秘訣のようなものはありませんか。
「真理を理解するということ以外に秘訣はありません。たとえば再生の問題は人間には解決できない難問の一つです。人間はすぐに〝証拠〟にこだわりますが、再生は証拠によって確信が得られる性質のものではありません。証拠などといっても、ただの用語にすぎません。確信というのは内部から湧き出てくるものです。
魂に受け入れ準備が整えば理解がいきます。その理解こそ大切で、それが唯一の確信です。科学は刻一刻と変っていき、その領域を広げつつあります。知識というものは固定したものではありません。一方、確信というのは真理と遭遇した時に湧き出る内的な悟りです。
この再生に関しては地上では、当分の間、意見の一致は見られないでしょう。理解した人にとっては至って単純なことであり、容易に納得がいきます。一方、理解できない人にとっては、ひどく難しく思えるものです。ですから、忍耐強く待つことです。意見の一致が得られないからといって組織がつぶれるわけではありません。
何につけ、議論することは結構なことです。意見が衝突することは結構なことです。自然は真空を嫌うと言います。惰性は自然の摂理に反します。作用と反作用は正反対であると同時に相等しいものであり、同じエネルギーの構成要素です。立ち止まってはいけません。
大いに議論し討論し合うことです。沸騰した議論がおさまった時、そのつぼの中から真実が姿を現すことでしょう」
🕊
───再生について今ここで語っていただけませんか。
「実は私みずからが、みなさん方が体験しておられる難しさを味わっております。私は再生を認めておりますが、このバーバネルは認めようとしません(※)。自分の道具すら説得できないでいて、他の人を説得できるわけがないでしょう」
(※)これはシルバーバーチとバーバネルとが別人であることの証拠としてよく話題にされたものであるが、晩年はバーバネルも得心していた。なおこのコペンハーゲンでの交霊会がいつ行われたかは記されていない───訳者)
🕊
───事実か事実でないかだけでもおっしゃっていただけませんか。
「得心した人にとっては事実です。得心しない人にとっては事実ではありません」(真理の本質をついた名答というべきであるが、それにしてもなぜ要求にまともに応じなかったのか。私が思うに再生問題はスピリチュアリストの間でも異論の多い問題で、肯定派の中にさえさまざまな再生論があって、ここでシルバーバーチが一方的に述べることはISFの内部に余計な波風を立てることになることを案じたのであろう───訳者)
🕊
───異なった信仰に対する態度はどうあるべきでしょうか。われわれに信仰を押しつけようとする者に対して寛大であるべきでしょうか。それとも我が道を行くの態度で相手にしない方がよろしいのでしょうか。
私の考えではスピリチュアリズムはキリスト教に対してその活動については寛大でありつつも、スピリチュアリズムの霊的真理そのものは浸透させて行くべきだと思うのです。真実の信仰に欠ける者にスピリチュアリストが正しい宗教性を植えつけていくべきだと考えます。
「スピリチュアリズム、スピリチュアリズムとおっしゃっても、それはただの用語にすぎません。私たちは用語には関心はありません。用語とは概念や実在をくるむための道具にすぎません。私たちの関心は霊力、神の力───私はそれを大霊と呼んでいるのですが───それが地上に根づくことです。どこでもよいのです。それが私たちの努力の背後の目的です。
なぜ霊力を根づかせようとするのか。それは、霊力には魂に感動をもたらし、真の生命に目覚めせる力があるからです。どこであってもよいのです。教会の中であっても、外であっても、家庭内でもいいのです。目的とするのは一人一人の魂です。
物的惰眠から目覚める段階まできた魂は、あなたの行動範囲にみずからやってくるか、あるいはあなたの方から訪れて、魂のタネが蒔かれることになります。そのように導かれるのです。それでもし失敗したら、ひそかに涙を流してあげなさい。
自分のためにでなくその人のためにです。その人は絶好のチャンスを目の前にしながら、それをとらえ損ねたのです。
しかし、そうこうしているうちに、そこかしこにタネの根づきやすい魂がいることが分かります。やがて芽を出し、花を咲かせ、急速に美しさと優雅さとを増していきます。そのタネに神性が宿されているからです。かくしてその魂は真の自我を発揮しはじめたことになります。
地上生活のそもそもの目的は人間が身体的・精神的・霊的の全側面を活用して生活することであり、その三つの側面が機能するに至るまでは本当の意味で生きているとは言えません。身体と精神のみで生きている間は影と幻を追い求め、実在に気づかずにおります。
霊的自我が目覚めてはじめて、驚異的な霊的可能性と冒険への扉が開かれます。地上という物質の世界へ生まれて来たのは、その霊的自我を開発するためです。
ですから、その目覚めがどこで生じるかは重要ではありません。重要なのは魂が目を覚ますということ、そのことです。地上生活に悩みと苦しみが絶えないのはそのためです。悩み苦しみ抜いた末に、もはや物的なものでは救いにならないと観念した時に、霊的なものへ目を向ける用意ができたことになります。
〝風は気ままに吹く〟(ヨハネ)と言います。真理の風をどこにでも気ままに吹かせればよいのです。受け入れる用意のある魂にあたった時に存分に力になってあげることです」
🕊
───霊媒現象とスピリチュアリズムの活動のあり方をこれからどう改めて行くべきかについて何かアドバイスをいただけますか。
「つねに新しい側面が台頭しています。物理的心霊現象が徐(オモムロ)に後退し、心霊治療と霊的教訓という高等な側面がそれと取って代わりつつあります。地上の人間の進化のサイクルが変わりつつあるからです。あなた方は霊的に導かれるままに進まれるがよろしい。霊的進歩には型にはまった様式はありません。
今日まで導いてきてくれた力を信じて一身を預けることです。その力こそ、地上のあらゆる物的財産に勝る珠玉の知識をもたらしてくれた力です。ひたすらに前向きに歩まれることです。どこにいても最善のものを施すことです。かならずや導かれ、援助を受けます」
🕊
───私は南アフリカのさまざまな言語集団と霊界とのつながりに関心をもっている者ですが、霊界にはこうした集団との接触において使用するバイブレーションの調整システムのようなものがあるのでしょうか。
「それは問題を抱えている国の人たちがみずからの力で処理すべきことです。言語というのは思想・信念・想像、その他、内的な実在の諸相を表現するための人工的手段にすぎません。実在を適確に表現する言語は、いくら考えても見つかりません。要は魂に訴えるために最善を尽くすことです。
感動を与えるのです。悲しんでいる人を慰め悩んでいる人の心を癒すようなメッセージを届けて、魂を目覚めさせるのです。その魂に受け入れる用意があれば、きっと成果が出ます。受け入れる用意がなければ何の成果も出ません。
こうした問題には楽な解決策はありません。試行錯誤がほとんどです。私たちとて完全ではないのです。霊的交信、霊力の扱い方、霊媒の成長と進化にともなう各種エネルギーの調整の仕方について、絶え間なく新しいテクニックを開発しております。
固定した形式があるわけではありません。すべてが流動的です。なぜかと言えば、霊そのものが無限であり、したがって無限の顕現の可能性を秘めているからです。
ご質問に対してご期待にそった答えにならなくて申しわけありませんが、私としては以上のようなお答えしかできません」
🕊
─── 一般世間への普及活動において私たちは何か大きな間違いを犯していないでしょうか。もし犯していたらご教示をお願いしたいのですが・・・・・・
「もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人だったら、あなたは今この地上にはいらっしゃらないはずです。間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。しくじってはそこから教訓を学ぶのです。もしもしくじらないほど完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。
勉強のために地上へ来ているのです。しくじっては学ぶ───それが進化の法則の一環なのです。しかも進化はどこかでおしまいとなるものではなく、限りなく続く営みなのです。その目的は完全性の成就です。が、
その完全性がまた無限の性質のものであり、いつまでたっても成就できないのです。完全を成就しているのは大霊のみです。無限なる愛と無限なる叡智の権化なのです。
完全性が増せば増すほど、さらにその先に成就すべき完全性があることに気づきます。これが完全、という静止した状態ではありません。進化の法則はありとあらゆる段階を通じて働いており、それらがすべて連動しているのです。
人間の身体上の進化も、地上の科学者がどう言おうと、まだ終わったわけではありません。まだまだこれから開発されるべき表現形態があります。
同様に、精神的ならびに霊的進化も、この地上にあってさえ、三位一体の部分的側面として、到達すべき段階に至るにはまだまだ前途遼遠です。
要するに進化とは地上においても全宇宙においても無限の過程であり、そのこと自体が宇宙の全機構を案出した無限の知性の存在の証明であることを認識してください。その知性が絶対に誤ることのない法則によって統治し、ありとあらゆる側面を導き、支え、そして規制しているのです。
われわれはその愛と法則と叡智の機構の中に存在しているのです。間違いを恐れてはいけません。そこから学び、刻一刻と霊的に成長していくのです」
🕊
◎ N・F・S・H (英国心霊治療家連盟)における講演と一問一答
「心霊治療の目的はいたって単純です。魂の琴線に触れるということです。身体は癒えても魂が目覚めなかったら、その治療は失敗だったことになります。たとえ身体は治らなくても魂に何か触れるものがあれば、その治療は成功したことになります。
他はいざ知らず、われわれに関するかぎり、霊のもつ才能、霊の力は、神の子の一人一人が有する神性を目覚めさせ、地上に生まれて来たことの意味を理解させるために使用すべきです。
それが霊的能力の諸相の背後にある目的です。ですから、患者に身体上の好転が見られなくても少しも落胆することはありません。むしろ、身体上の病状は改善したのに、その患者が霊的な実在に何の関心を見せなかった時こそ落胆すべきです。それが病気が治るということの背後に秘められた究極の目的だからです。
霊界にあっても私たちは一丸となって、地上の各地に拠点をもつ霊力が、受け入れる用意の出来ている者に間違いなく届けられるように地固めをしております。目指す目標は必須の要素すなわち自分とは一体何者なのか、何の目的でこの地上に存在しているのかについての自覚を植えつけることです。
簡単に言えば、自分の霊的宿命を成就するために自分の霊的起原を知ってほしいということです。
治病能力は霊的身体のみが有する霊的能力の一つです。霊の目で見る霊視能力、霊の耳で聞く霊聴能力と同じです。ですから、治療家としての仕事をするには霊力のお世話にならねばなりません。
ここで用語についてはっきりさせておきましょう。私が 〝大霊〟 と言う時、それは無限の知性であり、全生命の究極の裁定者であり、叡智と真理と理解力の極致です。人間的存在ではありません。ただ、それを表現する際にどうしても〝彼〟 とか 〝あなた〟 といった人称代名詞を使用せざるを得ませんが、大霊は神格化された人物ではありません。
生命力であり、原動力であり、活性力であり、意識であり、生気です。そうした原理の精髄です。無限なものです。したがって霊力も無限です。それは誰の占有物でもありません。通路となりうる人なら誰にでも流れます。キリスト教やクリスチャン・サイエンスはもとよりのこと、あなた方でも治病能力を独占することはできません。
それを受け入れる能力をお持ちのあなた方に出来ることは、その能力をさらに発達させること、つまり受容能力を増し波長を高めることだけです。霊力そのものは無限に存在します。それをどれだけ受け入れるかは、あなた方自身の進化と発達の程度によって決まるのです。
あなた方を通じて流れる霊力の限界はその受容能力によって決まるのです。簡単なことなのです。あなた方の受容能力が増せば、それだけ多くの霊力があなた方を通して流れ込み、それだけ大きな成果が得られるということです。
流入する霊力の分量に限界というものはありません。唯一それに制限を加えているのはあなた方治療家の霊的発達段階であり、それが、どれだけの霊力を受け入れるかを決定づけます。
この聖なる力、神の威力、大霊、生命力、どう呼ばれても結構ですが、それがあなた方を通路として流れるのは、あなた方に受容能力があるからです。それを患者へ届けてあげなければならないわけです。
改めて初歩的なことを申し上げて恐縮ですが、病気・不快・異状の原因は調和の欠如にあります。健康とは全体の調和が取れている状態のことです。身体と精神と霊との間に正しいリズムとバランスが取れていることです。
三者の連繋がうまく行っていない時、どこかに焦点の狂いが生じている時、自然の生命力の流れが阻害されている時に病的症状が出るのです。霊力が流れず、本来の機能を果たしていないからです。
人間の病気はサイコソマティック、つまり精神と霊に原因があってそれが身体に表れております。経験豊かな皆さんには私から申し上げる必要はないと思いますが、心配ばかりしていると胃潰瘍になります。が、かいよう部分を切除すれば心配しなくなるわけではありません。ですから心配しないような生き方を教えてあげないといけません。
病気の大半は精神と霊から生じております。いわゆる人身事故でさえ精神ならびに霊的原因から発生していることがあるのです。これは皆さんにとってはとても理解しがたい難題であろうかと思いますが、では治療家としてはどうすべきか。
患者の意識の中枢である霊に注がれる霊力を、治療霊団から受け取るのが治療家の仕事です。言わばバッテリーです。枯渇している生命力を充電してあげる通路です。それが障害物を取り除くのです。それがバランスを取り戻させるのです。リズムが整い、調和よく機能するようになるのです。
そのとき治療が効を奏したことになります。霊力が魂にまで及ぶからです。ここが大切な点です。患部に置いた手が治しているのではありません。手をおくことは接触のための手段の一つにすぎません。
治療家の霊的発達の程度いかんによっては、それが必要である場合もあれば必要でない場合もあります。肝心なのは魂にまで及ぶということです。魂にカツを入れて居眠りの状態から目を覚まさせ、自我の発見という本来の目的を意識させるのです。
それさえうまく行けば、身体にある自然治癒力が機能を発揮して健康状態を取り戻します。その時はじめて治療家は、大霊すなわち神の通路としてその霊力を受け入れ、それが自分を通過して患者の魂の中の神を呼び覚まし、はじめて真の自我を意識させるという機能を見事に果たしたことになります。
心霊治療というのはそういうものなのです。ここで改めて皆さんに申し上げます。たいへん改まった真剣な気持ちで申し上げますが、あなた方治療家の責任はきわめて重大です。真理を知るということは、それに伴って責任というものも付加されるのです。神聖な才能を授かるということは、それを本来の神の意志にそって使用するという責任が伴います。
心霊的(サイキック)な能力と霊的(スピリチュアル)な能力とは違います。心霊治療家にもサイキック・ヒーラーとスピリチュアル・ヒーラーとがあるわけです。後者の場合は生活態度を可能なかぎり理想に近づける努力をしなければなりません。能力はあっても、それをどこまで開発するかは治療家自身の責任です。
それをいかなる目的に使用するかについても責任があります。なぜなら、その能力を授かったということは神の使節の一人であることを意味するからです。
皆さんはどこの教会、どこの聖堂の司祭よりも、真実の意味での神の司祭でいらっしゃいます。神の霊力があなた方を通過して届けられるという点において、神の名代をつとめておられるのです。これは大へん責任の重い仕事です。それを汚すようなことがあってはなりません。傷つけてはなりません。
不名誉となるようなことをしてはなりません。腐敗させてはなりません。間違った動機から使用してはならないということです。ただひたすら自分を使っていただくという気持ちで、可能なかぎり理想を目指して努力していればよいのです」
🕊
───霊力がそちらで準備される過程を教えて頂けませんか。患者の特殊な症状に応じて調合される治癒力です。
「とても説明が困難です。非物質的なエネルギーを表現する適切な用語が見当たらないのです。こう理解してください。霊力とは生命力であり、生命の素材そのものであること、活力であり無限に存在すること、可変性があり、無限の形態をとることができ、無限の置きかえと組み合わせが可能である、ということです。
こちらの世界にはさまざまな程度の知識と経験と理解力をもつ霊が控えています。地上の化学者、科学者に相当する霊もいます。この生命力、霊のエネルギーのさまざまな性質を、あなたが使用された用語で言えば、特殊な症状に合わせて 〝調合〟 するのです。これはなかなかよい表現です。通路である治療家を通じて可能なかぎり症状に合った調合をする研究を絶えず重ねております。
これ以上の説明はできそうにありません。治療家のもとを訪れる患者によって、一人一人、治療法が異なります。患者のオーラも大へん参考になります。オーラには病気の根本原理である霊的ならびに精神的状態が正直に表れているからです。それによって調合の仕方を考えます」
🕊
───それには霊界の担当医たちの精神的(メンタル)な努力を要するのでしょうか。
「(人間が考える意味での)メンタルという用語は不適切です。実体のある作業だからです。実際に混合するのです。こちらの世界にもあなた方のいう化学物質に相当する霊的素材があります。もちろん精神(マインド)も使用します。霊界では精神がすべてをこしらえる上での実体のある媒体だからです」
🕊
───遠隔治療が可能であることを考慮すると、直接治療においてその治癒力を受けるのに、治療家の身体または霊体はどの程度まで使用されているのでしょうか。
「遠隔治療にも治療家の霊体を使用しなければなりません」
🕊
───その過程を説明していただけませんか。
「治療家はテレビジョンとよく似ています。霊的なバイブレーションが治療家に届けられると、治療家(の霊体)を通過する際に半物質的治療光線に転換されて、それが患者に送られます。治療家は変圧器です」
🕊
───遠隔治療でも同じですか。
「同じです」
🕊
───それがどうやって患者に届けられるのでしょうか。
「患者が治療を要望したということでつながりが出来ております。思念によって治療家へ向けてのバイブレーションが生じます。そこに絆が出来たわけで、そのバイブレーションに乗って治療力が患者に送られるのです」
🕊
───自分のために遠隔治療が行われていることを知らない場合はどうなりますか。
「患者と関わりのある誰かが知っているはずです。そうでなかったらその患者に向けて治療が行われるわけがないでしょう」
🕊
───治療家がその患者の病状が悪いことを知って一方的に遠隔治療を施してあげる場合もあるでしょう。
「それだけでもう絆ができております」
🕊
───でも患者の方から思念が出ていません。
「いえ、出ております。治療家がその絆をこしらえております。こちらの世界では思念に実体があることを忘れてはなりません。私があなたを見る時、私にはあなたの身体は見えません。霊媒の目を使えば見えるかも知れませんが。
私たちにとって実体があるのは思念の方であり、実体がないのは身体の方です。あなたが思念を出せば、それがたちどころに実在物となるのです。それがバイブレーション───波動をこしらえます。それが遠隔治療で使用されるのです」
🕊
───心霊治療を受ける上で信仰のあるなしは関係ないということは理解しておりますが、患者が邪悪な思念を抱いていると、それが治療を妨げると考えてよろしいでしょうか。
「私は信仰をもつこと自体は反対していません。それが理性を土台としていて、盲目的でなければ結構です。スピリチュアリズムの思想を正しく理解された方なら、手にされた真理は全体のほんの一かけらにすぎないことはご存知と思います。
肉体に閉じ込められているあなた方が全真理を手にすることは不可能なことです。霊界へ来ても同じことです。となると、手にした限りの知識を土台とした信仰を持たねばならないことになります。
さて、そうした知識を土台とした理性的信仰を持っていることは大いに結構なことです。そのこと自体は何ら問題はないと思います。それが治療にとって好ましい楽観的な雰囲気をこしらえるからです。
霊力は明るく楽しい、愉快な精神状態の時にもっとも有効に作用し、反対にみじめで疑い深く、動揺しやすい心は、霊的雰囲気をかき乱して治療の妨げとなります」
🕊
───オーラを見る能力のない治療家は、治療がうまくいっていることをどうやって知ればよいのでしょうか。
「治療家に患者のオーラが見えるか否かは問題ではありません。症状の診断ができるか否かも問題ではありません。そういうことにこだわってはいけません。要は霊が使いやすい状態になることです。
道具としてなるべく完全になることを心がけることです。完全な道具としてマイナスの要素となる人間的弱点を極力排除しなくてはなりません。そう努力することで霊力が豊富に流れるようになります。背後霊団との協調関係を決定づけるのは治療家の日常生活です」
🕊
───サークル活動に参加できる治療家は能力を開発する上で勉強になりますが、そういう機会に恵まれない人のために何かアドバイスをいただけないでしょうか。それと、交霊会に出席することは治療家にとって不可欠でしょうか。
「あとのご質問からお答えしますと、これにはきっぱりと 〝ノー〟 と申し上げます。霊の能力はあくまで霊の能力です。それを授かって生まれてきたのであり、授かった以上はそれを発達させる責任があります。ピアニストとしての才能をもって生まれた人は練習と鍛錬によってそれを発達させなければならないのと同じです。
では治療能力はどうやって発達させるか。その答えはサークル活動に参加することではありません。それもプラスにはなります。心に宿す動機も発達を促します。日常生活の生き方によっても発達します。可能なかぎりの純粋性と完全性を目標とした心がけによっても発達します。できるだけ良くしてあげたいという願望を大きくしていくことによっても発達します。
自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人のことを思えば思うほど、それだけ自分が立派になります。よい治療家になる方法を教えてくれる書物はありません。
ひたすら他人のために役立ちたいと願い、こう反省なさることです───〝神は自分に治病能力を与えてくださったが、果たしてそれに相応しい生き方をしているだろうか〟と。これを原理として生きていれば、治病能力は自然に力を増し質を高めていきます」
🕊
───治療家によって力に差があるのはなぜでしょうか。
「話の上手な人と下手な人、ピアノが上手な人と下手な人、文章のうまい人と下手な人がいるのと同じです。才能がそれだけ開発されているということです」
🕊
───もし治療家が病気になった場合は他の治療家にお願いすべきでしょうか。それとも自分で治す方法があるのでしょうか。
「他の治療家にお願いする必要はありません。それよりも、いつも使用している霊力を直接自分に奏効させる方法を工夫すべきです。神に祈るのに教会まで行く必要がないように、霊力を自分自身に向けることが出来さえすれば、治療家のところへ行く必要はありません。そのためには自分の心、自分の精神、自分の魂を開かないといけません」
🕊
───医者は大病にもストレスや仕事上の心配が原因であるものがあると言っております。そうしたケースでは(身体と精神と霊の)不調和はどの程度まで関わっているのでしょうか。
「あなたがおっしゃったことは私が別の言葉で言っているのと同じことです。あなたは仕事上の心配と呼んでおられますが、それは私のいう不調和状態のことです。精神と肉体と霊とが正しい連繋関係にあれば、仕事上の心配も、そのほか何の心配も生じません。心配する魂はすでに調和を欠いているのです。
霊的実在についての知識を手にした者は心配をしてはなりません。取越苦労は陰湿な勢力です。進化した魂には縁のないものです。あなたはそれを仕事上の心配と呼び、私は不調和状態と呼んでいるのです。自分が永遠の霊的存在であり物質界には何一つ怖いものはないと悟ったら、心配のタネはなくなります」
🕊
───なぜ治らない人がいるのでしょうか。
「それはその人が霊的にまだ治る資格がないということです」
🕊
───いったん遠隔治療のための絆ができても、次の治療の時はまた改めてこしらえる必要があるのでしょうか。
「いったん出来たら、もうその必要はありません。霊界との絆は磁気的なものです。いったん出来あがったら二度と壊れることはありません」
🕊
───ということは、どこにいても同じということですね。教会にいても駅にいても。
「霊の世界には地理的な〝場〟というものがありません。常に身のまわりに存在しております。教会にいるからとか、地中深く掘られた採掘所にいるからとか、あるいは飛行機に乗って空高く上がったからといって、それだけ神に近くなっているわけではありません」
🕊
───地上世界に具現化するものは、その存在の基盤として思念が先行していると言われております。言えかえれば、われわれは思念的素材を製造していることになるわけですが、すると治療家が患者に対した時には完治するという思念を抱いて、完全な健康のイメージをもつことが治療にプラスになるのでしょうか。
「大いにプラスになります。なぜなら、思念には実体があるからです。完全な健康状態のイメージを強くもてばもつほど、その成就へ向けて近づくことになります。あなた方もその理想へ向けて不断の努力をすべきです。最高のものを心に画くべきです。絶対に希望を棄ててはいけません。常に朗らかで楽観的な雰囲気を出すべきです。そうした条件が最高の成果を生みます」
🕊
───さきほど治らない患者はまだ治る資格がないからだとおっしゃいましたが、それだけでは単純すぎるように私には思えるのです。それでは悪人はいつまでたっても治らず、善人はいつでも治るということになるからです。
「そんな単純なものではありません。それは皮相な見方です。問題を霊の目で見ていらっしゃらないからです。たとえば苦難は人間から見ればイヤなものでしょうが、私たち霊の立場から見れば実に有難いことです。凶事に出遭うと人間は万事休すと思いますが、私たちの目から見ると、それが新たな人生の始まりであることがあります。
善とか悪とかの用語を物的価値基準に基づいて、あたかも善人という人種、悪人という人種がいるかのような言い方をしてはいけません。私たちの価値基準はあなた方とは必ずしも同じではありません。
私は、治るためにはそれだけの霊的な資格がなければならないと申し上げているのです。善人とか悪人とかは言っておりません。魂が真の自我に目覚めれば治る資格ができたことになります。そのとき治療が効を奏します」
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───たとえその資格ができていても、純粋に身体上の理由から治らないこともあるのではないでしょうか。たとえば視神経が完全に破損されて眼が見えないという場合です。自然の摂理からすれば、いくら心霊治療でも、まったく新しい視神経をこしらえることはできないと思います。
「今われわれは奇跡の話をしているのではありません」
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───おっしゃる通りですが、ただ私は、あなたが 〝不治〟 の場合の理由をあまりに大ざっぱにおっしゃっているように思えたものですから・・・・・・
「私が申し上げているのは、治る可能性のある病気が治らない場合、それはその患者にまだ治るための霊的資格ができていないからだということです」
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───赤ん坊が両脚とも奇形である場合に、一方の脚は治ったのにもう一方の脚に何の反応も生じないことがあります。なぜでしょうか。
「それぞれの脚にそれぞれの原因があって、同じ治療法では治せないということです。一つ一つ治療法が異なります。それぞれの事情に合わせた治療が行われます。それぞれに特徴があります。こうした問題を地上の皆さんのためにできるだけ平易に申し上げようとすると、とても骨が折れます。
他にもいろいろと考慮しなければならない条件があるのです。奥に隠れた原因があってそれに絡んだ霊的摂理が働いており、さらにその奥にも次元の異なる摂理が働いているのです。
心霊治療は見かけほど単純ではないのです。ただ患部を治せばよいというものではありません。評価されるのは魂に関わることです。魂にいかなる意味が及ぶか、治療がいかなる意味をもつことになるか。なぜその患者は心霊治療家のもとを訪れたのか、その患者は魂が目を覚ます霊的進化の段階に到達しているか。
こうしたことは物的尺度では測れないことばかりです。が、心霊治療にはそれらがすべて関わっているのです。なぜなら、治療にたずさわっている間は生命力そのものを扱っているからです。ということは、宇宙の永遠の創造活動に参加しているということになります。私が治療家の責任の重大性を強調する理由はそこにあります」
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───てんかんの原因は何でしょうか。
「脳に障害がって、それが精神による働きかけを正しく受け取れなくしているのです」
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───治せるのでしょうか。
「もちろんです。病気はすべて治せます。〝不治の病〟というものはありません、治してもらえない人がいるだけです」
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───私が遠隔治療を依頼されたケースが三つないし四つあるのですが、不幸にして成功しませんでした。少なくとも私はそう考えております。いずれの患者もそのまま他界されたからです。
「それはもしかしたら最高の成功だったと言えるかも知れませんよ。他界に際して何らかの力になることができたら、それは治療として成功といえます。
治療の目的は地上での寿命を引き延ばすことではありません。目的は霊との接触です。それがいちばん大切です。そのいちばん大切なことを第一の目標になさい。大切なのは霊です。霊が正常になれば身体も正常になります」
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───わずか数分で治してしまう治療家がいると知って驚いているのですが、治療家によっては二時間とか数週間、あるいは数か月、時には何年もかかって、それでも良くならないというケースがあります。なぜでしょうか。
「果を見て木を知るべしです。大切なのは結果です(※)。治療家は背後霊団との最高の調和関係を目指して日常生活を律するべきです。そうすれば必ず良い成果が得られます。あなた方は身を正すことだけを考えて下さい。あとは私たちがやります。援助の要請が拒否されることは決してありません。
霊力を出し惜しむようなことは絶対にいたしません。私たちは常にお役に立つための努力を重ねております。人を選り好みしません。すべての人を歓迎します。霊力はすべての人に恩恵をもたらすべく存在しているのです。私たちが欲しいのは、よろこんでその霊力の通路となってくれる道具です」
(※私が親しくしていた治療家の一人のM・H・テスター氏もこのNFSHの会員で、たぶんこの日の会合にも出席していたものと推察しているが、そのテスター氏が〝奇跡的治療というと人は一発で治る場合を想像するが、たとえ半年かかろうと1年かかろうと、医学的に不治とされたものが治れば、それも立派に奇跡である〟と述べている───訳者)
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───心霊治療によって回復した人が間もなく他界することがあります。なぜでしょうか。
「あなた方はなぜ死ぬということをそんなに悪いことのように考えるのでしょう。私たちの世界では仲間が地上へ誕生して行った時に泣くことがあります。地上を去ってこちらへ来ると手を取り合って喜びます。地球を離れることがなぜ悲劇なのでしょう」
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───精神に異状のある方は本当に気の毒でならないのですが、治療家として無力であることを痛感させられています。
「精神上の病も治すことができます。身を私たちにあずける───あなたに要請されるのはそれだけです。ご自分を通して霊力が流れるようにするのです。じかに治療できない人には遠隔治療を施してあげなさい。霊的治療はもはや地上に根づいております。退散することは決してありません。
あなたもあなたなりの貢献ができます。しかも、とても重要な役割です。忘れないでいただきたいのは、無限の進化の計画の中において、あなたも神聖なる通路としての神のお役に立っているということです。光栄この上ない仕事です。が、それだけに責任も重いということです」
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◎ S・A・G・B (大英スピリチュアリスト教会)における講演と一問一答
「本日お集まりの皆さんは霊的実在についての知識をお持ちの方ばかりです。ですから私からその大切さ、特に今日の世界における掛けがえのない重要性を強調する必要はありますまい。
私は可能なかぎり皆さんのお力になるつもりでおります。私の申し上げることのすべてに同意なさらないかもしれませんが、真実の同胞関係というのは、お互いの意見が完全に一致しなくても愛し合えるということです。
皆さんは霊の力がさまざまな形態で顕現していることをよくご存知とはいえ、肉体に閉じ込められているが故の厄介な問題の一つとして、正しい焦点を定めることが難しいことがあげられます。つまり霊力というものが適切な通路を得た時の影響力がいかに実感あふれるものであるかについて、共通の認識が得られないことです。
もしも私がかりそめにも地上の住民としての義務───家族への責任および共存共栄関係にある他人への責任───から逃れさせるようなことを口にしたら、他にどんなに立派なことを説いても指導霊として落第であることになりましょう。
しかし率直に申し上げさせていただけば───素直に言い合うことが協力の基本だと思うからこそですが───皆さん方は俗世間的な問題に関わりすぎており、そうした問題のすべての解決のカギである霊の力を十分に活用していらっしゃいません。
このことを私は、私たち霊団の協力者である皆さん方───われわれの関係は主と従ではありません。対等の協力者です───そして地上の使節としてその任に恥じない生き方を望んでおられる皆さん方に、最大限の誠意と謙虚さをもって申し上げたいと思います。皆さんのような霊的知識を手にされた方が悩んだり、心配の念の侵入を許して取越苦労をするようではいけません。
霊的知識があるからこそ、いかなる心配、いかなる悩み、いかなる不安にも、皆さんの精神的・身体的・霊的環境の中への侵入を許してはならないのです。心配、悩み、不安───こうしたものは援助の力の通路そのものを塞いでしまいます。
哀悼者の悲しみの念が壁となって他界した霊を近づけなくするように、気苦労のバイブレーションに取り囲まれてしまうと精神的・霊的雰囲気が乱されて、ますます霊を近づきにくくします。皆さんは愛に動かされた霊によって導かれているのです。それは地上の血縁や愛情あるいは友情によって結ばれている場合もありますが、それとは別に、
かつて皆さんと同じ道を歩み、今なお皆さんを通してその仕事に関心を持ち続けている霊である場合もあります。そうした霊のさらに背後には無私の博愛心に燃える高級霊の大軍が控えているのです。
美と豊かさと荘厳さと威厳と光沢と気高さと光輝とにあふれた霊力そのものには際限というものはありません。ただ、人間がこしらえる条件によって制約されるのみです。どうか信念に裏打ちされた、とらわれのない通路、
安易に信じるのでなく、これまでに得た知識を基盤とした信念───進化の現段階では無限の知識を手にすることが不可能である以上どうしても必要となる信念に燃えた通路であってほしいのです。
知識を基盤とした信念に燃えてください。皆さん方の一人一人が霊の導きによって今日まで苦難と危機と困難を乗り切ってこれたのです。振り返ってごらんになれば、その導きの跡が読み取れるはずです。
そこで、人間的煩悩ゆえに時には背後霊を手こずらせることはあっても、これほどのことをしてくださった背後霊が自分を見放すはずはないとの信念に燃えなくてはいけません。
われわれは霊的真理の崇高なる啓示にあずかった、本当に祝福された者ばかりです。それ故にこそ、その知識に伴う責任に恥じない仕方をしようではありませんか。
過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯しそれから学ぶために地上へやって来たようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。
今、人のためになることをするのです。どんな形でもよろしい。自分の置かれた物的環境条件から考えて無理でない範囲のことを行えばよろしい。先のことをあまり考え過ぎてはいけません。
皆さんが皆さんの役目を果たしていれば、私たちは私たちの役目を果たします。そして、そうした協調関係の中では絶対に挫折はないことをお約束いたします。
この建物の中でどれほどのことが為されているかは、皆さんは知ることができません。私たちにとっては神聖な場所です。ここには愛の働きがあり、悲しみの涙が拭われて確信の笑みに変っております。病の人は癒され、悩める魂は内なる静寂の芳香を見出しております。それを皆さん方は測り知ることができません。魂へ及ぶ影響を測るはかりがないからです」
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───霊の指導によって行われる範囲と人間の努力によって行うべき範囲について教えて下さい。
「私たちも一定の法則の範囲内で仕事をしなければなりません。霊にもできることとできないこととがあるということです。その法則による制約は人間よりはるかに厳格です。
私がこれまでいちばん辛い思いをしたのは、私の愛する者が危機のさなかにありながら何も手を出さずに一歩さがって控え、自分で工夫するにまかせ、どちらの道を選ぶかをじっと見守っているしかなかった時です。
それがいちばん本人のためであるとの判断があったからです。助言を求められても〝ここは一つご自分の判断でやってごらんなさい。どれだけうまく行くか試してごらんなさい。その判断はあなたの霊的進化の成就のすべてが掛かっているのですよ〟と申し上げなければならないこともよくあるのです。
私たちの関心は霊的な結果です。きたんなく言わせていただけば、あなた方は物的な結果だけを見つめておられることが多すぎます。この連盟の歴史を振り返ってごらんになれば、霊の導きが決して少なくないことがお分かりになるはずです。
私たちが基本的原理のいくつかを確信をもって明言できるのは、それらが永遠の実在に基づいているからにほかなりません。もしも地球が地軸上の回転をやめるような事があったなら、あるいは汐が満ちるべき時に満ちてこず引くべき時に引かないようなことがあったなら、あるいは又、星雲が回転のパターンからはずれるようなことがあったら、
私はこれほどの確信をもって説くことはできないでしょう。が、大霊は全知全能であり、その霊力の働きは完全無欠です。そこで私はその霊力に全幅の信頼を置く者に決して挫折はないと確信をもって申し上げるのです」
🕊
───さきほどあなたは、一歩控えて思いどおりにやらせるほかはないことがあるとおっしゃいました。その人には好きな道を選ぶ自由意志があるわけですが、もしもその人が自由に行動してそれが仕事をぶち壊すようなことになったらどうなるのでしょうか。
「自由といってもある一定の範囲内での話です。無制限の自由ではありません。その人の霊的成長と進化から生じる一定の条件によって制約されます。完全な自由選択が許された無制限の自由ではありません」
🕊
───本当の意味での自由意志は存在しないわけですか。
「ある限界内での自由意志が存在するということです。その段階での判断に基づいて好きな道が選べます。そしてそれがその人の霊的進歩を妨げもすれば促進もするということです」
🕊
───かりにあなたが代わりに選択してあげたら、それがその人の進歩を妨げることになるかも知れないし促進することになるかも知れないわけですね。
「それは有り得ることです。ただ、なかなかうまく説明できないのですが、表向きは単純そうでも、その裏面は、法則の内側に法則があり、そのまた内側に法則があり、そのまた内側にも法則があって、実に複雑なのです。しかし、神の叡智は完ぺきですから、絶対に手落ちがないように、すみずみまでバランスが取れております」
🕊
───せっかくの成果をぶち壊しにするような行為も、全体の計画にとっては大して支障を来たさないということなのでしょうか。
「とんでもないことをして成果のいくつかをぶち壊しにすることはあっても、全部を台なしにするようなことはないということです。人間の行為が及ぼす被害も多寡が知れてるということです。地上のいかなる人物にも、神の意志を完全に台なしにしたり、計画の推進を完全に阻害するほどの損害を及ぼす力はありません」
🕊
───ということは、この地球上で発生する災害もすべて神の計画の中で起きているということでしょうか。
「人間はその神の計画のワク外で行動することはできないという意味で、そう言えます。絶対に免れることの出来ない因果律というものがあるからです。その冷厳な法則が人間に致命的な限界というものを設けております。ぶっきらぼうな言い方をすれば、地上の科学者には宇宙全体を全滅させるほどの破壊力は製造できません。そこに限界があります」
🕊
───人間の立場からみると悪に思えるものもまったく悪ではないことがあるものでしょうか───高い次元からみればむしろ善といえることが。
「地上の人間にとって苦しみは悪であり、痛みは歓迎されませんが、実質的には必ずしもそうではありません。苦は楽と同じく神の計画の一部です。苦がなければ楽もなく、暗闇がなければ光明もなく、憎しみがなければ愛もありません。作用と反作用は同じものであると同時に正反対のものです。
一つのコインの両面と思えばよろしい。善と悪はともに不可欠のものであると同時に、相対的なものです。
地上にはさまざまな道徳的規範があり、国によって異なります。たった一つの絶対的規範というものはありません。私たち霊にとっての価値基準はただ一つ───魂にどういう影響を及ぼすかということです。魂の成長を促すものは善で、成長を遅らせるものは悪です。そこが大切な点です」
🕊
───あなたは、成長のためのチャンスは平等に与えられるとおっしゃっていますが、私はどうも納得できません。魂の本質は同じかも知れませんが、その本質が発揮される能力は必ずしも平等ではありません。
同じチャンスから必ずしも同じだけのものを摂取できるとはかぎりません。能力の程度によって異ったチャンスが与えられるか、それともチャンスは同じでもそれをうまく活用する能力が平等に与えられていないかのいずれかだと思います。
「いえ、私はその考えには同意できません。物質界に生まれてくる人間には神性の種子が宿されております。そうでなかったら生まれて来られません。生命とは霊であり、霊とは生命です。あなたにも花開くべき霊性の種子が宿っております。その開花は、成長を促す可能性をもった環境条件への反応次第で違ってきます。
霊性の発達を促すためのチャンスはすべての人間に平等に与えられています。私はすべての人間が同じ霊格を身につけることになるとは言っておりません。そのチャンスが与えられていると言ったのです。金持ちであるか貧乏であるかは関係ありません。他人のためになることをするのに地位や名声、財産といったこの世的なものは必要ありません」
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───身体の機能上の不平等はどうでしょうか。
「奇形もしくは脳に異状のある場合のことをおっしゃりたいのでしょうか。それは別に扱わねばならない複雑な問題でして、これには宿業(カルマ)の要素が入ってきます」
🕊
───カルマの要素があるということは再生もあるということでしょうか。
「再生はあります。しかし一般に言われている形(機械的輪廻転生)での生れ変わりではありません。霊界には無数の側面をもった、霊的ダイヤモンドとでもいうべきものがあります。その側面が全体としての光沢と輝きを増すための体験を求めて地上へやってまいります。
これでお分かりのように、地上へ生まれてきたパーソナリティは一個のインディビジュアリティの側面の一つということになります。少しも難しいことではないのですが、人間はそれを勘違いして〝私は前世はだれそれで、次はまた別の人間に生れ変わります〟などと言います。そういうものではありません。
生まれてくるのはダイヤモンド全体に寄与する一つの側面です。その意味での再生はあります。地上で発揮するのは大きなインディビジュアリティのごくごく小さな一部分にすぎません。
かくして皆さんのおっしゃる類魂(グループソール)というものがあることになります。つまり霊的親族関係を有する霊の集団が一つの統一体を構成しており、それが全体としての進化を目的として、いろんな時代にいろんな土地に生れてその体験を持ち帰るわけです」
🕊
───インディビジュアリティがパーソナリティのひとかけらなのですか。それともその反対ですか。
「パーソナリティがインデビジュアリティのひとかけらです」
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───みんなグループソールに属しているとなると、仲間の良い体験の恩恵をこうむると同時に、良くない体験の悪影響も忍ばねばならないのでしょうか。
「その通りです。それが全体に寄与するのだと思えば、それも有難い体験です」
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───ということは、私が今苦しい思いをするのは必ずしも私自身のせいではないわけですね?
「そう認識なさることで安らぎをお感じになるのであれば、そうお考えになられて結構です。一つだけ秘密のカギをお教えしましょう。叡智が増えれば増えるほど選択の余地が少なくなるということです。増えた叡智があなたの果たすべき役割を迷うことなく的確に指示します。
われわれはみずからの意志でこの道を志願した以上は、使命が達成されるまで頑張らねばなりません。あなた方はこの道をみずから選択なさったのです。ですから他に選択の余地はないことになります。
叡智というものは受け入れる用意ができた時にのみ与えられるものです。それが摂理なのです。私は使命を要請され、それを受諾しました。本日皆さんがこの私を招待してくださったということは、高級界のマウスピースとして、その叡智を取り次ぐという仕事において幾らかでも成功していることを意味していると受け取らせていただきます。
肉体的血縁関係が終わっても、永遠に消えることのない霊的親族関係というものが存在します。それは永遠に続きます。結びつける絆は物質ではなく霊です。物質は儚い存在ですが、霊は永遠です」
≪われわれはここで改めて気を引き締めて仕事に邁進し、一人でも多くの人を神の照明のもとに導いてあげないといけません。われわれのもとを訪れる魂が永遠の絆である霊によるつながりを強化するのを手助けして、無限の恩恵の可能性を秘めたその霊力の働きかけを受け止められるようにしてあげないといけません。
それがわれわれ全員がたずさわっている仕事の一環です。生命の原理、霊的真理の基本を忘れないようにしましょう。それさえ確保しておれば、存在の目的を成就していることになるからです≫
シルバーバーチ
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