心霊治療と生命力


身体が病むということは精神か霊かのいずれかに不自然なところがあるということです。霊が正常で精神も正常であれば身体も正常であるはずです。身体に出る症状はすべて霊と精神の反映です。これを医学では心身相関医学などと呼ぶようですが、名称はどうでもよろしい。大切なのはいつの時代にも変わらぬ真理です。

魂が病めば身体も病みます。魂が健康であれば身体は当然健康です。身体の治療、これは大切ではありません。魂の治療、これが大切なのです。

あなた方の治療によって患者の症状が取り除かれても魂に何の感動も及ぼさなかったとしたら、その治療は失敗であったことになります。あなた方の失敗であると同時に私どもの失敗でもあり、その患者は悟りへの道を失ったことになります。絶好のチャンスを手にしながら、それを実りあるものに出来なかったわけです。

本当はその病気は当の患者に人生の目的と、存在の意義を成就するためになさねばならぬことを啓示するための手段であったのです。魂の琴線に触れる体験をさせること、これが最も大事なことです。真理は真理です。絶対に変えるわけにはいきません。

それが真理です。人間の一人ひとりに宇宙の大霊が宿っており、それが絶えず発現を求めます。より広く顕現することによって初めて人生から豊かさを獲得できるからです。事は極めて簡単です。顕現しなければ悟りは得られないのです。

そこに苦の存在する理由があります。悲しみの存在する理由があります。光が暗闇の中にあってこそ見出せる理由がそこにあります。ただし、その体験による魂の顕現はそれから始まる大冒険の始まりにすぎません。その大冒険こそ神の意図する人生のあるべき姿なのです。

疾風怒濤の霊的冒険であり、その体験を通して叡知と崇高さと美しさと光輝と威厳と気品と尽きることのない霊的遺産を手にすることです。それが地上生活のあるべき本来の姿です。ところが現実はそうではありません。唯物主義がはびこり、利己主義が横行し、貪欲が支配し、奉仕の精神、協調の心、向上心、人助けの気持ちが失われております。

そのことを思えば、こうして人の役に立つ機会が次第に広く開かれていくことを、あなた方は有難く思うべきです。そうです。身体の痛みを取り除き、悩む心を慰め、魂を鼓舞し、肉の牢から開放してあげることが大事です。大切なのはそこなのです。

なぜならば、魂が一度霊的自我に目覚め、神との霊的つながりを再構築すれば、その時から真の意味で〝生きる〟ということが始まるからです。治療家が障害物を取り除いてあげれば、霊力がふんだんに流れ込むようになります。

障害とは無知であり、誤まった生き方であり、誤った考えであり、高慢であり、うぬぼれであり、嫉妬心であり、失望です。人間は神と自己と同胞と調和しつつ、大自然の摂理に則った生活を送るようにならなければなりません。

苦が全てというわけではありません。人生の一部でしかありません。しかし、苦のない世界はありません。苦しみと困難があることが進化の必須の条件なのです。あなた方の住む世界は完全ではありません。身体も完全ではありません。

ただし、魂の内部には完全性の種子を秘めております。人生の目的はその種子を発芽させ発達させ、その完全性を賦与してくれた根源へ向けて少しずつ近づいて行くことです。この巨大な宇宙組織の内面には進化の機構を操るエネルギーの相互作用があります。

生命はじっとしておりません。生命の世界には絶え間なく増幅していく円運動または螺旋運動の形での発達があります。その全機構がどう働いているかを察知できるようになるのは、人生の目的を悟った暁のことです。

霊的治癒は魂がそれを受けるに値する段階に至るまでは何人といえども受けられません。いかに勝れた治療家にも治せない患者がいる理由はそこにあります。治らないのは治療家の責任ではありません。
患者の魂にそれを受け入れる準備が整っていなかったということです。全てが自然法則によって支配されています。トリックは利きません。いかなる治療家もその法則の働きを変えたり外らせたりすることはできません。

ですから、人間としての最大限の成果をあげるべく努力をすることです。それが私から言える唯一の助言です。背後霊との協調性が高まれば高まるほど、より大きな成果が得られます。この仕事は延々と続きます。人間は御し難いものです。しょせん地上は完璧な世界ではないからです。完璧であれば地上には居ないはずです。

寛容的でなければならない理由がそこにあるのです。自分が一般の人より先を歩んでいることを自覚されるなら、なおのこと寛容的であらねばならない責任があります。

奉仕の仕事に嫌気がさしてはなりません。奉仕は霊の通貨(コイン)のようなものです。神が発行される万人共通の通貨です。あなた方の仕事にとって必要な力は用意されています。しかし一度に大きな仕事を成就しようとしてはいけません。今日は今日出来ることだけをして、明日やるべきことは今日は忘れることです。

力に限界が来たら無理して出そうとするより補給することを考えなさい。その方が無理をしてその乏しいエネルギーを使い果たし、結局は仕事を全面的に休止しなければならなくなるよりはましです。

限界があるのは実はエネルギーではありません。身体と言う機能の方です。いかなる機械も限界を超えた仕事を課せられると故障が生じます。人間の身体ほど多くの仕事を課せられながら休息の少ない機械は他にありません。霊の宿る貴重な神殿です。良く管理し、保護し、大切にすべきです。

どの分野であろうと、人のために尽くす仕事に携わる人が時には嫌気がさし、疲れを覚え、不快に思うことがあることは私も承知しております。もう駄目かと思えることもあるでしょう。しかし道は必ず開けます。霊的真理、霊的事実は最後には勝つのです。

貪欲、利己主義、残酷、粗暴、過酷、邪悪、こうしたものは全て一掃されねばなりませんし、きっと一掃される時が来ます。
そして人間同士の平和だけでなく、人間と他の創造物とが調和し一体となって進化の道を歩むことになることでしょう。

地上で自由を享受するのは人間だけではありません。創造物の全てが自由を享受する資格があるのであり、本来守ってやるべき立場にある人間によって勝手に捕えられ苦しめられ利用されて良いものは何一つありません。その代償は必ず支払わされます。
因果律は必ず働きます。人間に生命を賦与し地上での存在を可能にしている処の神性をごまかすことは出来ません。

全生命は不可分のものです。物的形態上の違いはあっても深奥での区別は無いのです。生命は一つなのです。霊は一つなのです。そして霊とは神であり、全存在に内在しております。かなうものならば、あなた方の視界を遮るベールが取り払われ、背後で協力している光輝く霊的存在を一目お目にかけることができれば、と思うことしきりです。

立ちはだかる困難の一つひとつは、あなた方が是非とも迎えうち克服し、そうすることによって霊の力が物の力に勝ることを証明していかねばならない、一つの挑戦でもあります。

シルバーバーチ








 シルバーバーチの霊訓

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