誰にでも分かる真理を


ラベルはどうでもよいのです。形式はどうでもよいのです。口先だけの文句はどうでもよいのです。大切なのは〝行い〟です。〝行為〟です。つまり各人の毎日の〝生活〟そのものです。

私たちは因果律という絶対的な摂理を説きます。つまり誰一人としてその神の摂理のウラをかくことはできません。ごまかすことはできません。
自分が自分の救い主であり、贖い主であり、自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けると説くのです。また神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると説きます。

すなわち親切、寛容、同情、奉仕の行為が自動的にそれ相応の結果をもたらして霊性を高め、反対に利己主義、罪悪、不寛容の精神は自動的に霊性を下げます。この法則は変えようにも変えられないのです。みっともない執行猶予も安価な赦免もありません。

神の公正が全宇宙に行きわたっております。霊的な小人が巨人のふりをしてもごまかせません。死の床での悔い改めも通用しません。
広大なる宇宙で生じるもの全てに責任を持つ大霊(神)の不変にして絶対的威力を有する摂理に目を向けましょう。私たちは常にその摂理を念頭に置いています。なぜなら私たちの説く神は人間的弱点や人間的激情、人間的憤怒に動かされたり、好きな人間と嫌いな人間とを選りわけたりするような、そんな人間的存在ではないからです。

私達の観る宇宙は法則によって支配されています。すみずみまで行きわたり、これからも常に存在し続ける法則です。
地上の人間がこれまであまりに永いあいだ振り回され隷属させられてきた誤った概念と虚偽、偏見と無知を無くしていくには、地上の生命現象と生活現象のすべてがその絶対的法則によって支配されていることを教える以外にはありません。

その知識が少しでも増えれば、それだけ理解力も豊かになることでしょう。真の美しさを遮っていたベールが取り除かれ、有限の地上的存在の視野を超えたところに存在する、より大きな生活を少しでも垣間見ることになるでしょう。

かくして私どもは常に神の永遠の自然法則、
絶対に狂うこともなく、過ることもない法則、地位の高い低いに関係なく全ての存在に等しく働く法則に忠誠と感謝の念を捧げる者です。誰一人おろそかにされることはありません。誰一人見落とされることはありません。誰一人忘れ去られることはありません。誰一人として一人ぼっちの者はいません。
法則の働きの及ばない人、範囲からはみ出る人など一人もいません。あなたがこの世に存在しているという事実そのものが神の摂理の証です。

人間の法律は機能しないことがあります。改められることもあります。
人間の成長と発展に伴って視野が広がり、知識が無知をなくし、環境の変化に伴って新たな法令が要請されたりすると、従来の法律が廃止されたり別の法律と置きかえられたりすることもあります。

しかし神の法則には新しい法則が付け加えられることは絶対にありません。改正もありません。解釈上の変化も生じません。いま機能している法則はこれまでもずっと機能してきた法則であり、これからも変わることなく機能していきます。一瞬の休みも無く機能し、そして不変です。   

シルバーバーチ



(シルバーバーチの霊訓3・p71〜 )

        

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